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ふるさとの神々・ひとり画ってん「蒙古初代皇帝になった義経はまさに神様」


▼ふるさとの神々・ひとり画ってん「蒙古初代皇帝になった義経は
まさに神様」

【概略文】
 義経といえば鞍馬山が有名です。父の死後、鞍馬寺に入れられた
のでした。義経は、夜になると僧正ヶ谷で武芸に励み、山の大天狗
の弟子として兵法を授け、小天狗らと立ち会わせながら、腕を磨か
せたといいます。

 やがて五条大橋で弁慶との対決になるわけですが、ふつうは、弁
慶が太刀千本を奪う悲願を立てることになっています。ところが逆
に「武蔵坊弁慶絵巻」などの本には、悲願を立てたのは義経だとし
ているから面白いものです。

 奥州の藤原秀衡のところに身を寄せますが、秀衡が死んだ後、そ
の子泰衡は頼朝の圧迫に耐えきれず、1189年義経を衣川の館に襲撃
し自害させたことになっています。

 ところがそれは見せかけで、本当は義経は生きていて、東北・北
海道から樺太を経て蒙古に渡り、モンゴル人を征服。大蒙古帝国を
建設して初代皇帝になり、ジンギスカンと名のったというのですか
ら話がでかい。神様としてまつられるのも分かります。


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某月某日 山の伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「日光男体山の家族説の出どころ」

▼山の伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「日光男体山の家族説の出ど
ころ」

【概略】
 日光の山々は大ファミリーの伝説は有名です。お父さんが男体山
で、お母さんが女峰山。2人の間に愛子の大真名子山と、小真名子
山の姉妹、長男の太郎山がいて、小太郎山(弟?)を従えます。

 さらに光徳温泉北の山王帽子山は太郎山の女房だともいわれてい
ます。また奥日光志津の宿にあるオンバ様は長男の太郎山に乳を授
けた乳母だったという。さらに赤薙山は女峰山の妹山。丸山は赤薙
山の年下の夫山。帝釈山は女峰山の双子の弟だという。

 三岳は太郎山と山王帽子山の間にできた子どもという。白根山は、
男体山と兄弟だとか女峰山の兄妹ともいわれ、太郎山の叔父さんだ
という。前白根山は白根山の子どもらしい。

 こんなことからいまでは一族の連峰家族は13座にもなっていま
す。これは江戸時代前期の儒者林羅山の「二荒山神伝」や「日光山
縁起」の物語から発展させたストーリーらしいという。
・栃木県日光市
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山の伝承ひとり画ってん「神奈川県・丹沢の不動ノ峰のお不動さん」

「神奈川県・丹沢の不動ノ峰のお不動さん」

▼お急ぎの方はこちらをどうぞ
【概略】
 蛭ヶ岳へ向かう途中の不動ノ峰の手前の休憩舎わきに風化した不
動さまの石仏があります。これはもとは不動ノ峰の山頂にあったと
いいます。

 蛭ヶ岳は別名毘盧ヶ岳といわれ、修験者たちの本尊である大日如
来の異名をもつ毘盧舎那仏をまつった山だったということです。か
つて大山修験の系統の日向薬師の山伏たちが宮ヶ瀬から早戸川をつ
めて、丹沢山北側下にある早戸大滝で身を清め、本尊大日如来をま
つる蛭ヶ岳に向かう途中、やっと登りついたこの山(不動ノ峰)。

 ここを霊地として定め、早戸大滝の上の山に不動明王をまつった
のだろうとされています。昭和38(1963)年ころ、伊勢原日向薬師
堂常連坊で見つかったという古文書『峰中記略控』にも、「是より
峰に登り神前の平地なり。比所に不動尊あり」と記されているそう
です。
・神奈川県相模原市と山北町との境

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▼神奈川県・丹沢の不動ノ峰のお不動さん
【本文】
 神奈川県と山梨県にまたがる丹沢山塊。その中心・丹沢山から主
稜づたいに蛭ヶ岳へ向かう途中に不動ノ峰というところがありま
す。その手前の広場・休憩舎わきに風化した不動さまの石仏がある
のをお気づきですか。形が分からなくなるほど風化してしまってい
ますが不動さまなのだそうです。

 これはもとは不動ノ峰の山頂にあったそうです。不動さまは、清
水の湧く場所や滝によくまつられる仏像です。丹沢は昔から山伏た
ちの修行の場でした。蛭ヶ岳は別名毘盧ヶ岳(びるがたけ)といわ
れ、修験者たちの本尊である大日如来の異名をもつ毘盧舎那仏(び
るしゃなぶつ)をまつった山だったということです。

 かつて大山修験の系統の日向薬師(ひなたやくし)の山伏たちが
宮ヶ瀬から早戸川をつめて、丹沢山北側下にある早戸大滝で身を清
め、本尊である大日如来をまつる蛭ヶ岳に向かいました。その途中、
やっと登りついたのがこの山(不動ノ峰)です。そこで、ここを霊
地として定め、早戸大滝の上の山に不動明王をまつったのだろうと
されています。

 1963年(昭和38)ころ、伊勢原日向薬師堂の常連坊で見つかった
という古文書『峰中記略控』にも、「是より峰に登り神前の平地な
り。比所に不動尊あり」との記載があるそうです。この石仏も明治
になって再建されてといいます。

 丹沢の研究者・坂本光雄氏は「塔ノ岳孫仏記」(「あしなか」第4
1輯(1927年・昭和2)所載)の中で次のような意味のことを書い
ています。「いままつられている不動ノ峰の新しい不動の石像は、
塔ノ岳にあった尊仏岩と関係の深い東光院の本寺である最明寺の第
30世の住職・大阿闍梨(あじゃり)真順坊実辨僧正という偉い坊
さんが願主になって、1874年(明治7)に再建したもの。

 台座の右横には「再建施主・相州足柄上郡金子村惣村中」、左横
には「世話人堀村源右衛門」、真裏には「別当(寺務を統御した者)
川村東光院」と刻まれている」という。新しいものとはいえ、1874
年(明治7)では風化されるのは無理もないか。

▼不動ノ峰【データ】
【所在地】
・神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)と同県足柄上郡山北町
との境。小田急渋沢駅からバス、大倉から歩いて5時間で不動の峰。
写真測量による標高点(1614m)と、休憩小屋、風化した不動明
王がある。
【位置】
・標高点:北緯35度28分37.62秒、東経139度09分7.21秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

▼【参考】
・「あしなか3」第41輯
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・「尊仏2号」栗原祥ほか(さがみの会)1989年(平成1)


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▼ふるさとの神々・ひとり画ってん「あちこちの山でよく耳にする普寛行者」


▼ふるさとの神々・ひとり画ってん「あちこちの山でよく耳にする
普寛行者」

【概略文】(400字)
 木曽御嶽山の王滝口を開いた普寛(ふかん)行者は、江戸中期の
修験者で、関東一円と長野県、愛知県、岐阜県、山梨県などの各地
に御嶽講を組織した人物。その講中が建てた「木曽御嶽講碑」は、
御嶽山の山内や、各地の御嶽神社、その他の神社の境内でも見受け
られます。

 普寛行者は、高山植物のコマクサからつくる、腹痛の霊薬「木曽
百草」の創始者でもあります。埼玉県大滝村には、行者をまつる普
寛神社もあります。神社の奥ノ院は神社背後の「秩父御岳山」。そ
こには、祠があって、そのわきには、釣り鐘があって、時々ハイカ
ーがつく鐘の音が響きます。

 群馬県上州武尊沖武尊という峰の山頂には「御嶽山大神」の石碑
がありますが、これも普寛行者にちなんでいます。また沖武尊南東
にある剣ヶ峰には、普寛行者の霊神碑もまつってあります。

 これは修行を積んだ行者が亡くなった後、霊神を名のり碑を建て
る「御嶽講」独特のものだそうです。
・埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)と同県秩父郡小鹿野町両神
(旧秩父郡両神村)との境。

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こんな話も大まじめ「和歌山県・高野山の天狗の前身の姿は?」


▼山の伝説ひとり画ってん「和歌山県・高野山の天狗の前身の姿は?」

【概略】
 弘法大師開山した霊地・高野山には、もともと山神や地主神、天
狗たちが、参拝者たちを守るためにすんでいたらしい。なかでも護
法天狗高林坊は、言い伝えが少なく地味ですがその貫禄から、高野
山の天狗たちの総大将であろうとされています。

 さらに高林坊の前身は、弘法大師空海を山上に導いた狩場明神で
はないかと、天狗の研究家はいいます。伝説によると弘法大師はは
じめ、唐の国に留学していましたが、日本に帰るため船に乗るとき、
持っていた三鈷杵を海の中に投げ込んだという。

 大師は、密教が日本に渡れるならばこの杵を先に渡すから、布教
をする所としてふさわしい霊地を見つけておいてくれるよう願いを
こめていたのです。

 815年(弘仁6)、高野山の神・狩場明神(かりばみょうじん)と
出会った弘法大師は、明神の案内で(使者である黒白2匹の犬の案
内とも)で、高野山の三鈷杵のある場所までたどり着くことができ
たという。
・和歌山県高野町

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