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★山の伝承「北ア五竜岳小屋テント場の停滞」

北ア五竜岳小屋テント場の停滞


立山連峰のほぼ中央にある五竜岳。5匹の竜とはすごい名前ですが
これはただの当て字だとのこと。


ゴリュウに五竜の字を当てたのは、1908年(明治41)、ここに登っ
た三枝威之介という人だそうです。


ではゴリュウとは何のことでしょう。戦国時代、信州側が甲斐の武
田の勢力下にあったころ、山の残雪が武田菱に似ているというので、
ちょっと気の利いた者が御菱(ごりょう)と呼んだという。


それがゴリュウになまったという説。また後立山を後立(ごりゅう)
と音読みしたという説もあります。


7月、五竜小屋は大風雨のため停滞ときめました。前線が行ったり
きたりで日なが一日手もちぶさたです。


ツェルトの中を雨水が流れます。3日目の夕方、突然ウソのように
雲が切れます。


待ってましたと、小屋の中から人、人、人。よくもこんなにという
ほどの人が雲海に沈む夕日を見に出てきました。


五竜の上の月がなんとも印象的でありました。
・長野県大町市と富山県黒部市との境




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★山の伝承「丹沢・蛭ヶ岳の薬師如来さま」


丹沢・蛭ヶ岳の薬師如来さま


丹沢山塊の最高峰の蛭ヶ岳。かつて薬師如来がまつられていたとい
いますが、いま山頂にあるのは木曾の御嶽山の神の祠。


山名は山ヒルがいるからそんな山名がついたのだとか、毘盧舎那仏
からの毘盧ヶ岳に由来したなどの説。


毘舎奈仏とは華厳経というお経に説かれていて、釈迦のようにこの
世に生まれてくるのではなく、蓮華蔵世界という極楽浄土におられ
るという難しい話がものの本に載っていました。


ある年の夏、カモシカ山行で、夜に大倉尾根から登り、蛭ヶ岳のホ
コラの前で朝食をとりました。


山の中では誰もいじめたりしないので、すっかり人間になれてしま
った野生の鹿がそばに来て、シキリに食べ物をねだります。


生態系?によくないと知らんぷりをしていたら、目の前でジャージ
ャーと放尿の仕返し。


なんという態度だーッ。ホントニ。
・神奈川県山北町と津久井町との境



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★山の伝承「大菩薩嶺と甲斐武田終えんの地」


大菩薩嶺と甲斐武田終えんの地


中里介山の小説で有名な大菩薩峠の北方にそびえる大菩薩嶺も『日
本百名山』のひとつ。


大菩薩の名は、平安時代、新羅三郎義光が、大菩薩峠で道に迷い、
木こりの案内で無事通過。見ると八旒の白旗が見えます。


これぞ軍神の加護と「八幡大菩薩」と唱えたのがはじまりという。
大菩薩嶺の山ろくは甲斐武田氏の終えんの場所でもあります。


織田信長とその同盟者と戦った「長篠の戦い」以降、武田勝頼率い
る甲斐武田家は次第に勢力が衰えていきました。


安土桃山時代の天正10年(1582)3月、連合軍に追われた勝頼は、
自ら韮崎の新府城に火をかけ、一族とともに落ちていきました。


郡内には信頼できる岩殿城主の小山田信茂がいます。しかしその信
茂が謀反をおこし、笹子峠で行く手をはばまれ、仕方なく勝頼は、
日川渓谷の上流天目山の栖雲寺をめざしましたが、


田野地区で激戦の末、勝頼は奥方とともに自刃、甲斐武田氏は滅亡。
いまも景徳院には勝頼と奥方の自刃の石碑や墓が残っています。
・山梨県甲州市と丹波山村との境





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★山の伝承「四阿山(あずまやさん)と猿飛佐助」

四阿山(あずまやさん)と猿飛佐助


四阿山(あずまやさん)山頂には東側を向いた上州祠と、南側を向
いた信州祠が建っています。


信州祠は長野県側山ろくの真田町の里宮・山家神社の奥宮です。こ
こは信濃国の豪族真田氏の信仰が厚かったところ。


真田氏といえば、豊臣秀吉の知将といわれた真田幸村の家来の真田
十勇士。


なかでも忍術の猿飛佐助もこのあたりで修行したと言い伝えられて
います。


佐助は、山頂南下の鳥居峠のふもとの郷士鷲塚家の生まれ。最初鷲
塚佐助といっていました。


いつも山中で猿などと遊ぶうちに、甲賀流忍術の「大名人」戸沢白
雲斎に見出され、ミッチリと修行。甲賀忍者の免許皆伝をもらいま
す。


そこへたまたまイノシシ狩りに来た真田幸村と出会い、家来になっ
たという。


佐助の猿のような軽い身のこなしから「猿飛」の名をもらい、猿飛
佐助幸吉(ゆきよし)と名乗りました。


佐助は幸村の側近くで仕え、神出鬼没の大活躍。諸国を巡り情報を
収集、徳川の武将とも対決し最後は夏の陣で討死にしたことになっ
ています。
長野県須坂市と群馬県嬬恋村との境。




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★山の伝承「御殿山麓弘法大師の塩井戸」

御殿山麓弘法大師の塩井戸


房総の御殿山直下にも弘法大師伝説の塩井戸があり、いまでもしょ
っぱい水が出るという。


昔、貧しい暮らしの老婆のところへ旅の僧がやって来ました。老婆
はありあわせのアズキ粥を出しましたが、粥には塩気がありません。


まずしく、塩が買えませんと詫びます。僧が小川に錫杖をつき立て
ると、なんと塩水が出てきた。


ありがたがる老婆が振り返ったとき、僧の姿はすでになかったとい
う。それからは、塩に不自由しなくなったという。


正月も3日、御殿山にテント。翌日、農家のオバアサンに聞いて探
しました。


塩井戸は沢のすぐわきにありました!小さな溝に小さなへこみ。し
かし水は枯れてしまっていて、落ち葉で埋まっていました。


早速目印に赤いテープを巻いておきました。オバアサンの話ではこ
の間までまだ水があったというのに。ザンネン!
・千葉県南房総市(旧安房郡丸山町)。




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