某月某日 山の伝承・伝説に遊ぶ【ひとり画ってん】「丹沢・お塔の山塔ノ岳」
▼山の伝承・伝説に遊ぶ【ひとり画ってん】「丹沢・お塔の山塔ノ岳」
【概略文】
東京付近の人なら誰でも一度は登ったことのある山・丹沢の塔ノ
岳。かつて、この山の頂上北西側に尊仏と呼ばれる突き出た塔のよ
うな形の大岩があり、拘留尊仏(くるそんぶつ)という仏さまをを
まつってありました。塔ノ岳の名はそこから来ているといいます。
ここはかつては5月15日がお祭りで、村人は稲、麦、粟、陸稲
などの穂を持って登りお塔に供え、種子を交換しあったという。
また、お塔の下の土を掘り持って帰り、田畑にまいて豊作を祈っ
たりしました。
しかし、この岩も土を掘りすぎたのか、1923年(大正12)の関
東大震災の翌年の1月15日、再び起こった地震にもろくも、コナ
ゴナになって北西側の大金沢にくずれ落ちてしまったそうです。
いまは岩の根元だけが残って、春になるとコイワザクラがびっし
り花を咲かせ、訪れる登山者を楽しませてくれます。
・神奈川県秦野市と山北町、清川村との境。
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- 2018年08月14日
- 山の伝承
某月某日 山の伝承・伝説に遊ぶ【ひとり画ってん】「北アルプス・剱岳」
▼山の伝承・伝説に遊ぶ【ひとり画ってん】「北アルプス・剱岳」
【概略文】400字
かつて映画「劔岳 点の記」(原作・新田次郎)で話題なった剱岳。
剱岳は立山連峰中最も険しく、山名は「針の山」ともたとえられる
ように、岩峰が剣のように突き立っていることに由来。
明治40(1907)年7月、三角測量点設置のため、陸地測量官柴崎芳
太郎一行が苦労の末、やっと山頂に立ちました。ところが、山頂で
修験者が持っている錫杖の頭と鉄刀を見つけたのです。
さらに石窟でたき火の跡の木炭も発見。錫杖を鑑定した結果、平安
時代初期のものと判明して大騒ぎ。いまは国の重要文化財に指定さ
れています。
木炭のあった石窟は、山頂の斜め下のところという。そこは山頂の
祠を見上げる位置で、高さ約2m、底幅2mくらい。奥行き3mく
らい。奥壁の上部がせり出しています。
かなり以前の夏に登ったとき、山頂の祠の下方、木炭のあったとさ
れる石窟の底をのぞいてみました。
中は空き缶やゴミで埋まっています。ここで一夜を過ごしてみたい
と興味をもっていましたが、さすがに泊まる気にはなりませんでし
た。
・富山県上市町と同県立山町との境
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- 2018年08月04日
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某月某日 山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア・どこから見ても笠ヶ岳」
▼山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア・どこから見て
も笠ヶ岳」
【概略文】
各地に「笠」の形をした山は多くありますが、この笠ヶ岳ほどどこ
から見ても同じ形をした山はないそうです。
江戸時代は山頂から少し下にある山小屋あたりが人の肩に似ている
というので「肩ヶ岳」とか、お釈迦様の「迦」を意識したのか「迦
多ヶ岳」といっていたらしい。
山岳修行でおなじみの念仏僧・播隆上人がここに登り東の空に浮か
ぶ天をつくような槍ヶ岳を見て、初登頂を決意した話は有名です。
播隆は、1823(文政6)年6月、荒れた踏み跡を探しながらなんと
か笠ヶ岳に登頂。
下山したのち播隆は村人とともに笠ヶ岳への登山道の整備をはじめ
ます。
その年の8月5日、播隆は笠ヶ岳再興を祝って村人を連れて再び登
頂。山頂で念仏を唱えていた午後4時ごろ、雲の中から七色にかが
やくご来光が現れ、その中心に如来像がくっきりあらわれました。
「仏さまの出現だ」とその場にひれ伏したという。いまでいうブロ
ッケン現象ですね。
・岐阜県高山市
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- 2018年08月01日
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某月某日 山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア五龍岳・五匹の竜とはものすごい」
▼山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア五龍岳・五匹の
竜とはものすごい」
【概略文】
五龍岳(固有名詞なので竜ではなく旧字体を使用しています)山頂
東面には、X字形の割れ目があります。
この割れ目に雪がつくと、遠くからは「四つ割り菱」の形になって
見えます。
まるで当時ここを支配していた武田信玄の家紋と同じです。そのた
め信州側では「御」の字をつけて「御菱」と呼ぶおべっか者も出て
きます。
一方、越中側では餓鬼ヶ岳と呼んでいたという。明治時代、東京の
登山者がこの山にさしかかりました。
地元の案内人に聞くと「ゴリョウ」という山だとの説明。漢字を聞
きましたが分かりません。
「それでは五龍と書いておこう」とメモし、東京で雑誌に発表して
しました。
のち、お上が発行した地形図にも「五龍岳」の文字が記載されて、
とうとうこれが本名になってしまったという。
しかし越中側の餓鬼岳がない。仕方なく唐松岳の西にあった無名峰
を餓鬼岳としたということです。
・長野県大町市と富山県黒部市との境
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- 2018年07月31日
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▼「茨城県・岩間山十三天狗に行ってきました」
▼「茨城県・岩間山十三天狗に行ってきました」
【序文】
江戸時代の文政3(1820)年というから江戸時代も後期、江戸下谷
の長屋にすんでいた少年が天狗にさらわれるという事件がありまし
た。
茨城県筑波山の端山(はやま)、岩間山愛宕神社境内の「十三天狗
塚」(茨城県笠間市)で、しばらく天狗と一緒に生活したという。
名前を寅吉といい、当時、天狗小僧寅吉と大変評判になったといい
ます。
それを聞いた国学者の平田篤胤(あつたね)が毎日のように寅吉の
ところに通い、話を聞き『仙境異聞』(せんきょういぶん)という
本にまとめました。
こんな話をもとにどんなところか行ってみました。
http://toki.moo.jp/merumaga/hitokoto/hito-10.html
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(1971年(昭和46)創刊)
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- 2018年07月16日
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