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山道の楽しみ「フキノトウ」

山道の楽しみ「フキノトウ」

【概略説明】
 登山道で山菜に出会うのも楽しみの一つで
す。とくに雪の中から頭を出していたりする
とひとりでに顔がほころびます。

 フキノトウはフキのつぼみ。形が塔のよう
なので「蕗の塔」なのだそうです。フキノト
ウの花芽のまわりについている葉を草笛にし
て吹いたりします。

 先年、和歌山県の高野山から熊野本宮まで
の熊野古道・小辺路をテントに泊まりながら
歩きました。高野山から横道にそれ金剛三昧
院、ろくろ峠、薄峠をへて山道に入るとフキ
ノトウが目つきはじめます。とくに竜神スカ
イラインでは当たり前のように生えていま
す。

 早速採って辛子みそをつけて生のまま食べ
てみました。果無山脈を展望しながらの食べ
歩き、そのうまいこと。しかし、フキノトウ
の「あく」のせいか、辛子みそのせいか、お
尻が文句をいいはじめ、なだめるのに大変で
した。要注意、要注意。

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https://toki.moo.jp/mail-maga/michibr/michibr02.html

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北アルプス「槍ヶ岳へつづく喜作新道」

北アルプス「槍ヶ岳へつづく喜作新道」

【概略文】
 長野県大町市の中房温泉から燕岳、大天井
岳、西岳から東鎌尾根経由で槍ヶ岳へ真っ直
ぐ登山道が延びているのが喜作新道です。ア
ルプス表銀座コースとして大勢の登山者が訪
れます。

 この登山道はその名のように喜作という人
が造った道です。喜作とは安曇野市穂高牧集
落出身の猟師小林喜作のことで、1922年(大
正11)にこの道を開拓、槍ヶ岳直下の殺生
小屋や西岳小屋を建てたといいます。

 喜作が自分の家に用事で戻る姿が当時の
「銀ぶらの格好」だったのがその名の由来だ
そうです。その後喜作は息子と一緒に後立山
連峰に猟に出かけ、爺ヶ岳裏の棒小屋沢で雪
崩で死んだといいます。

 この喜作新道を記念して、大天井岳の周辺
にレリーフがいくつか掲げてあり、毎年秋に
は「喜作祭り」の記念山行も行われているそ
うです。

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https://toki.moo.jp/mail-maga/michibr/michibr01.html

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山の妖怪「天狗、どこまで飛べる?」

山の妖怪「天狗、どこまで飛べる?」

【概略説明文】
 茨城県に愛宕山(岩間山)という天狗で有
名な山があり、十三天狗の塚もあります。こ
この首領は杉山僧正という大天狗です。江戸
時代後期の文化9年(1812)、江戸下谷七軒
町の長屋の子どもが天狗にさらわれました。

 寅吉という少年で、さらったのは十三天狗
の首領杉山僧正だといいます。寅吉は茨城県
の愛宕山(岩間山)で天狗の修行をさせられ、
武術、書道、加持祈祷、神道護符、薬方、占
易、秘文呪文などを習得したといいます。こ
れが江戸中の評判になり、国学者の平田篤胤
が、寅吉を自宅に引き取り、「天狗に寿命は
あるか」、「何を食べるか」、また「夜は眠る
のか」など、こまごまと聞き出すのでありま
した。

 それを『仙境異聞』という本にまとめまし
た。その中に飛ぶときは「その歩行に向かっ
てうちわを指す」など羽うちわの使い方、「綿
に乗っているような」空の飛ぶ時の気分、ま
た「月の近くまで行ったときはすごく寒かっ
たが、太陽の近くを通った時は暑くてたまら
なかった」などと話しています。・茨城県笠
間市。

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弁天さまにふられた「道祖神」

「岳みち里みち田んぼみち」ぶらり
弁天さまにふられた「道祖神」

【概略文】
 いなか道を歩いていると、村境や道路の辻、
はたまた峠などで道祖神の石像やホコラをみ
かけます。道祖神は元来、外からくる邪悪な
ものをさえぎる役目の神です。

 村の入ってこようとする疫病や悪霊を村境
で通せんぼして、村を守ってくれています。
だから別名、塞(さい)の神またはさえのか
みとも呼ばれています。

 また「さい」は幸(さい)に通じるため、
人間に幸いをもたらす神としてあがめられ、
男女円満、縁結びの神、そして旅人の安全を
守る神としても信仰されます。関東から中部
地方では道陸神(どうろくじん)ともいって
います。

 江戸時代も中期以後になると世の中が落ち
着き、城の建造に携わっていた石工たちも失
業してきます。石工たちは仕事を求めて地方
の村をめぐるついでに、思い思いの構想を練
って石仏を彫っていったということです。思
いを寄せている弁天さまに逃げられ諦めきれ
ず、いまも村はずれで帰りを待っているとい
う伝説もあります。

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南ア赤石岳「椹島と南朝宗良親王」

「岳みち里みち田んぼみち」ぶらり
★山のはなし
南ア赤石岳「椹島と南朝宗良親王」

【説明概略文】
  赤石岳といえば、1926年(大正15)、荒
川小屋や椹島施設などの創設者、大倉喜八郎
が88歳の高齢をおして、特別注文の山カゴ
に乗り、人夫200人を従えて椹島(さわらじ
ま)から赤石山頂への大名登山が有名です。

 大倉喜八郎は東海パルプの創業者で、一代
で大倉財閥を築いた資本家。いま南アルプス
のほとんどの山小屋は、その系統の東海パル
プ関連の施設です。赤石岳登山口の椹島ロッ
ジには喜八郎の記念碑もあります。

 また赤石岳にはこんな伝承もあります。南
北朝時代、北朝に攻め立てられ、形勢が悪く
なった南朝の後醍醐天皇の皇子宗良(むねな
が)親王が、北条時行、諏訪頼継、高坂高宗
などを従え、遠江国伊谷城を棄てて信濃の国
に入り、赤石岳のふもとの大河原地区に隠棲。

 そして南朝勢力挽回のためにしばしば赤石
岳山頂に登り、足利市調伏を祈願したという
ことです。・静岡県静岡市葵区。

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