★山の伝承「大菩薩嶺と甲斐武田終えんの地」
大菩薩嶺と甲斐武田終えんの地
中里介山の小説で有名な大菩薩峠の北方にそびえる大菩薩嶺も『日
本百名山』のひとつ。
大菩薩の名は、平安時代、新羅三郎義光が、大菩薩峠で道に迷い、
木こりの案内で無事通過。見ると八旒の白旗が見えます。
これぞ軍神の加護と「八幡大菩薩」と唱えたのがはじまりという。
大菩薩嶺の山ろくは甲斐武田氏の終えんの場所でもあります。
織田信長とその同盟者と戦った「長篠の戦い」以降、武田勝頼率い
る甲斐武田家は次第に勢力が衰えていきました。
安土桃山時代の天正10年(1582)3月、連合軍に追われた勝頼は、
自ら韮崎の新府城に火をかけ、一族とともに落ちていきました。
郡内には信頼できる岩殿城主の小山田信茂がいます。しかしその信
茂が謀反をおこし、笹子峠で行く手をはばまれ、仕方なく勝頼は、
日川渓谷の上流天目山の栖雲寺をめざしましたが、
田野地区で激戦の末、勝頼は奥方とともに自刃、甲斐武田氏は滅亡。
いまも景徳院には勝頼と奥方の自刃の石碑や墓が残っています。
・山梨県甲州市と丹波山村との境
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- 2015年12月26日
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