★山の伝承「丹沢・大みそかの城ヶ尾峠」
丹沢・大みそかの城ヶ尾峠
西丹沢加入道、畦ヶ丸から菰釣山・高指山へとつづく縦走路。しば
らく歩くと城ヶ尾峠に出ます。
北へ進めば山梨県側道志村に下ります。南側は神奈川県山北町。い
までは道が崩壊し廃道になっていますが、かつては甲斐(山梨県)
と相模(神奈川県)を結ぶ交易路だったそうです。
こんな静かな峠でも、南北朝時代、また戦国時代と幾多の戦乱の場
となったといいます。
南北朝時代、河村一族は南朝に味方します。足利尊氏に追われた新
田義興も河村城にかくまわれともに戦いますが足利勢の猛攻撃に絶
えきれず落城。
西丹沢山中に退却、城ヶ尾峠付近に城を築き防戦。しかし、足利側
の力は強くとうとう敗れて峠を越え、甲斐側に入り越後に落ちてい
ったという。
それとは別に、戦国時代には武田信玄小田原攻めで、大勢の甲州兵
がこの城ヶ尾峠近くの信玄平あたりに陣を張ったという話もありま
す。
・神奈川県山北町と山梨県道志村との境。
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★おわり
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- 2016年02月23日
- 山歩き
★山の伝承「南アルプス・荒川三山」
南アルプス・荒川三山
荒川岳は、西側から前岳、中岳、東岳(悪沢岳)の三山の総称です。
とくに最高峰の東岳は本邦第6位の高峰。
その荒川岳の名は西麓の長野県大鹿村を流れる小渋川の支流、大崩
壊地から突き上げる荒川に由来している。
この三山は長野県、静岡県、それに県内に入っていないものの山梨
県でも呼び方が違っていたという。
長野側では西から荒川岳・中岳・連岳、静岡側では同じく西から荒
川岳・奥西河内岳・地蔵ヶ岳、山梨県では奥西河内岳・魚無河内岳
・悪沢岳と呼んでいたから紛らわしい。
昔は荒川、鍋状(悪沢岳?)、赤石岳を含めて三ッ峠(三峰)とい
っていたといい、
東岳(悪沢岳)山頂に三峰神をまつってありました。三峰といえば
1886年(明治19)、堀本丈吉(敬神講)が三峰講社を結成して登山。
いま中岳にも木製の祠の残骸が見られます。
・静岡市と長野県大鹿村との境
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- 2016年02月22日
- 山歩き
▼某月某日「東北・飯豊山草履塚の石仏」
▼某月某日「東北・飯豊山草履塚の石仏」
飯豊連峰の数ある峰々中で主峰とされる飯豊山は、山形県と新潟県
境にありながら、山頂一帯だけは福島県の一部という飛び地になっ
ている奇妙な境界線。
飯豊山山頂から東南に下って約1時間、草履塚というピークがあり
ます。
かつては剱神社と草履小屋があったところで、お山の飯豊神社にお
参りに来た人は、ここで草履をはきかえてから出発したという。
7月末、ギラギラと真夏の太陽が照りつけます。まだ8時だという
のにもう汗だくです。
登山道の突然の下り、降りついた所に妙な石仏があります。その昔、
羽前の国小松出身のある姥が女人禁制の飯豊山に登りたい一念で、
ここまで来ましたが神の怒りにふれて、むなしく石にされたという
伝説がある姥権です。
細長い葉の茂った草が覆った囲いの中で姥権は、ハンカチやタオル
をまいています。うつむけた風化した顔がものすごい表情に見えま
した。
・福島県喜多方市山都町
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▼終わり
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- 2016年02月21日
- 山歩き
某月某日「奈良・高天彦神社土蜘蛛窟」
某月某日【山の伝承漫画】「奈良・高天彦神社土蜘蛛窟」
『古事記』や『日本書紀』などの神話伝説に出てくる高天原はここ
だという所は各地にありますが、ここ奈良県御所市高天集落もその
ひとつです。
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祭神とする高天彦神社もあり
ます。昔、ここに土蜘蛛が住んでいたという。
土蜘蛛は鬼と同じように、古代、朝廷に従属しない先住の人々をよ
ぶ蔑視語。伝説によれば、土蜘蛛はサルチ(猿伐)という所から矢
で射殺され、蜘蛛塚に埋められたという。
かなり前の4月、高天彦神社から土蜘蛛の住処だったという蜘蛛の
窟を訪ねました。蜘蛛窟は杉林の中にあり、径2m位の場所がコン
クリートで固められ石碑も建っています。
そこから伸びる踏み跡一本。ザックをおろし、結構な距離歩いた歩
いた。
たどり着いてみれば枯れ葉で埋まった同じようなくぼ地がポツン。
登山靴で切り株を蹴りつけました。
・奈良県御所市高天
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- 2016年02月20日
- 山歩き
★山の伝承「石仏紀行・狛猫?狛虎・狛犬?」
石仏紀行・狛猫?狛虎・狛犬?
山伏峠の名は三方に尾根を伏せた(山が伏す)ような地形から来て
いるのだとも、このあたりに伝わる伝説の「三正坊」の3人の山伏
にちなむ説。
またフセは地形語で傾斜地のことで、三つの傾斜地を持つ峠との説
もあります。この峠は日本で最も高い峠で「日本三峠」のひとつで
もあります。
南北朝時代、南朝方後醍醐天皇の皇子宗良親王が南朝勢力挽回のた
め、登山口大鹿村に根拠地をおき、東奔西走したという。同親王の
『李花集』という本に出ています。
大鹿村から三伏峠を目指すには塩川小屋経由の塩川ルートが普通で
したが、最近は鳥倉林道が豊口山南方の標高1700m付近まで開通。
登山者も、登りのきつい塩川経由より楽な鳥倉林道から入る人が増
え、今後は塩川小屋はさびれてしまうかもしれないという。
かつてお世話になった塩川小屋のおばさんの顔が浮かびます。
・長野県大鹿村と静岡市との境。
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- 2016年02月19日
- 山歩き