槍ヶ岳の祠
槍ヶ岳の祠
シーズンになると槍ヶ岳は大混雑。きまって山頂の祠をバックにカ
メラにおさまります。山名は穂先の形によるという。
初登頂は播隆上人という念仏僧。1828(文政11)年の夏、阿弥陀如
来、観世音菩薩、文殊菩薩の3体の仏像を背負って登ったという。
その苦しみは背中の尊仏たちも汗を流すほどだったという。山頂を
平らにし、北側の高いところに小祠を造り安置。
のち、みんなが登れるようにと「善の綱」と名付けた綱を岩壁につ
け、木の祠をつくり新たに運んだ銅製の釈迦像を加え4体にし山の
寿命神にしたという。
しかし世は明治維新の混乱期に入り、いつか忘れられてしまいまし
た。いまあるのはその後何度か再建された祠。
8月、槍沢からの行列は山頂まで続く人々々。ホコラの前での記念
写真もままなりません。
あたり一面真っ白けのガスの中で、行列はいつまでも続いていまし
た。
・長野県大町市、同県松本市と岐阜県高山市との境(ただし標高点
は長野県)。
▼画像をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac03.html
シーズンになると槍ヶ岳は大混雑。きまって山頂の祠をバックにカ
メラにおさまります。山名は穂先の形によるという。
初登頂は播隆上人という念仏僧。1828(文政11)年の夏、阿弥陀如
来、観世音菩薩、文殊菩薩の3体の仏像を背負って登ったという。
その苦しみは背中の尊仏たちも汗を流すほどだったという。山頂を
平らにし、北側の高いところに小祠を造り安置。
のち、みんなが登れるようにと「善の綱」と名付けた綱を岩壁につ
け、木の祠をつくり新たに運んだ銅製の釈迦像を加え4体にし山の
寿命神にしたという。
しかし世は明治維新の混乱期に入り、いつか忘れられてしまいまし
た。いまあるのはその後何度か再建された祠。
8月、槍沢からの行列は山頂まで続く人々々。ホコラの前での記念
写真もままなりません。
あたり一面真っ白けのガスの中で、行列はいつまでも続いていまし
た。
・長野県大町市、同県松本市と岐阜県高山市との境(ただし標高点
は長野県)。
▼画像をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac03.html
PR
- 2015年09月09日
- 未選択