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「北アルプス・薬師岳」

▼山の駄画駄文屋の
「北アルプス・薬師岳」

▼【概略説明】
薬師岳の山ろくの
有峰湖湖底には、
かつて有峰の村が
ありました。

昔、この村にすむ
ミサノ松という
貧しい職人ががある日、
山中で昼寝をしていると、
夢の中に薬師如来が
あらわれ、ミサノ松を
招きます。

ついて行くと、
いつの間にか
高い山の頂上に
登っているのでした。

「これは薬師如来が
この山を開かせるため
あらわれたのだ」。
ミサノ松は頂上に
お堂を建て、薬師如来を
祀ったということです。

またここの南にある
太郎兵衛平は、
白、淡紅、薄紫の衣装を
まとった高山植物の
化身の3人の美女が、
突然あらわれ
すきとおる声で歌い
優雅に踊りはじめ、
その美女たちに
惑わされたのが
地名の由来だそうです。

▼【続きを見る↓】
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den10.html

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山の伝説神話「剱岳」

▼山の駄画師の
「剱岳」です。
ご高覧をお願いします。

 かつて映画「点の記」
(原作・新田次郎)で
話題なった剱岳。

 剱岳は立山連峰中最も
険しく、山名は
「針の山」とも
たとえられるように、
岩峰が剣のように
突き立っていることに
由来。

 明治40(1907)年7月、
三角測量点設置のため、
陸地測量官
柴崎芳太郎一行が
苦労の末、やっと山頂に
立ちました。

 ところが、山頂で
修験者が持っている
錫杖の頭と鉄刀を
見つけたのです。

 さらに石窟で
たき火の跡の
木炭も発見。
錫杖を鑑定した結果、
平安時代初期のものと
判明して大騒ぎ。

 いまは国の
重要文化財に
指定されています。

 木炭のあった石窟は、
山頂の斜め下のところに
あるとされています。

 そこは山頂の祠を
見上げる位置で、
高さ約2m、
底幅2mくらい。
奥行き3mくらい。
奥壁の上部が
せり出しています。

 かなり以前の
夏に登ったとき、
山頂の祠の下方、
木炭のあったとされる
石窟らしい底を
のぞいてみました。

 ここが本当の石窟か?
中は空き缶やゴミで
埋まっています。

 一夜を過ごしてみたいと
興味をもっていましたが、
さすがに泊まる気には
なりませんでした。

▼【続きを見る↓】
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den08.html

▼【目次】
・【剣岳とは】
・【剣か釼か剱か劔か劒の文字か】
・【不入の山】
・【掟破りの不審な死】
・【平安時代から登山】
・【タブーを無視した女性】
・【池平山】
・【モリブデン鉱山】
・【仙人だらけ】
・【冠松次郎が発見した仙人池】
・【剣岳データ】
・【参考文献】


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百名山神話伝説・047「鹿島槍ヶ岳」

山の駄画師の
「百名山神話伝説・047」
「鹿島槍ヶ岳」

▼【概略説明】
 北アルプス後立山連峰に
ある鹿島槍ヶ岳は、
山頂が二つに分かれた
双耳峰。

 山頂がとがっており、
「鹿島にある槍ヶ岳」と
いうのです。

 北壁直下の
カクネ里という窪地は
いかにも人の
住めそうな所。

 下流の鹿島集落の祖先
(平家の落人?)の
隠れていた所といいます。

 落人たちは後になって、
大川沢をくだり、
いまの鹿島川の
ほとりに移り住み、
田畑を切り開いて
いまの鹿島槍ヶ岳山麓、
大町市鹿島集落に
なったというのです。

 しかし、肝心な
鹿島集落では
そんな伝説は
知らないといいます。

 また登山の大先輩
羽賀正太郎氏は、
人が住めそうな地形から
「カクネ里」の名が
生まれたのではないか
としています。

 いずれにしても現地は
普通ではとても
行けそうにない
大川沢の奧の奧、
雪崩や雪塊の崩落が
名物のような場所です。

▼【続きを見る↓】
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den07.html

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「百名山神話伝説・046」五龍岳。

「百名山神話伝説046」五龍岳。

▼【概略説明】
 五龍岳にはG0からG7と呼ば
れる岩峰群があり、そのG2の大
きな岩峰の崖には、X字形の割れ
目があります。ここのヒシはX字
形に割れ目があるので「割りビシ」
です。

 雪が積もると、菱の岩肌だけが
黒く残って目立ちます。またX字
の割れ目にも雪が着くと、「四つ
割り菱」の雪形に見えます。

 戦国時代、ここ五龍の山ろくも
武田家の勢力下。領主サマ・武田
信玄の紋章がたまたま同じ「菱」
を使った武田菱です。

 その上よくみると、おらが「割
りビシ」も武田菱に似た形。菱は
リョウとも読み、村民のなかでは
「御菱(ごりょう)」と呼んだり
しました。ごりょうが五龍になま
ったということです。

 また地蔵ノ頭の風切地蔵、天狗
尾根の風切地蔵など、このあたり
には風切地蔵が多い。このあたり
は5月ごろ、大風が吹いてたびた
び被害を受け、風除けのために勧
進したといいます。

▼【続きを見る↓】
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den06.html

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「北ア・活火山焼岳」

▼山の軽口・伝承神話
「北ア・活火山焼岳」

▼【概略説明】
 上高地の西南にそびえる焼岳は、
噴火活動によって山肌が焼けただれ
ているような、赤褐色をしている山。
いまもそこかしこから湯気が立ち、
山頂近くの噴気孔は硫黄が付着し、
耐えられない硫黄臭をただよわせて
います。

 南峰と北峰に分かれていますが、
南峰は登山禁止になっていて、登れ
るのは北峰だけ。焼岳は1585年(天
正13)以来記録に残る活動は100回
を越すといいます。

 ここは火山活動により、昔から硫
黄のにおいが強いのか、『信府統記』
という本によれば、飛騨(岐阜)側
ではかつて硫黄岳と呼んでいたそう
です。

 1858年(安政5)の噴火のあと、
1911年(明治44)には22回にのぼる
小爆発がありました。さらに1915年
(大正4)6月の大爆発では東側に
流れた溶岩流や泥流は、梓川をせき
止めて大正池をつくったということ
です。

 その後1962年(昭和37)の大爆発
では、火山弾・火山灰が中尾峠の肩
の小屋を押しつぶしました。

 そして同所の北100mのところに
新しい噴火口がいくつもできまし
た。小屋の管理人は重傷を負ったそ
うです。

【さらに詳細】は。
https://toki.moo.jp/mail-maga/gate-mail/gate01.html

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