こちらポンチ屋「百名山の神話伝説」
「百名山の神話伝説・043」
「浅間山」
▼【概略説明】
浅間山の噴火は、有史以来、
1900年(明治33)まで、
記録に見えるだけでも
44回にもなるというから、
かなりな暴れ山。
なかでも
1783年(天明3)の噴火は
まれに見る大爆発で、
88日間も活動がつづき、
最後に「鬼押し出し」が
噴き出しました。
熱泥流は鎌原村を襲い、
全村が埋没。
大笹村の無量院の住職の
手記とされる
「浅間大変覚書」には、
「時々山の根頻りに
ひつしほひつしほと鳴り、
わちわちと言より、
黒煙一さんに鎌原の方へ…」
と、熱泥流が鎌原村へ
押し寄せていったと
記しています。
これは「天明の浅間焼け」と
呼ばれました。
これに関連して不思議な
話が……。【土下に埋って33年】、
【爆発で生死を分けた15階段】、
【浅間山の鬼富士山の鬼伝説】【ふ
たりの姫神の伝説】
▼【続きを見る↓】
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den03.html
………………………………………
▼ちょこっと【広告】「山の神話伝説姉妹版」
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★【パソコンで読むCD本】(作者から直接発送します)↓
https://toki.moo.jp/cd-mihon/cd-mihon.html
・『丹沢山ものがたり』
・『全国の山・天狗ばなし』
・『山の神々いらすと紀行』
・『ふるさとの神々何でも事典』
▼【グッズ・SUZURI】Tシャツほか
https://suzuri.jp/toki-suzuri/products
…………………
投稿者【とよだ 時】のホームページ:
https://toki.moo.jp/
★おわり
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「浅間山」
▼【概略説明】
浅間山の噴火は、有史以来、
1900年(明治33)まで、
記録に見えるだけでも
44回にもなるというから、
かなりな暴れ山。
なかでも
1783年(天明3)の噴火は
まれに見る大爆発で、
88日間も活動がつづき、
最後に「鬼押し出し」が
噴き出しました。
熱泥流は鎌原村を襲い、
全村が埋没。
大笹村の無量院の住職の
手記とされる
「浅間大変覚書」には、
「時々山の根頻りに
ひつしほひつしほと鳴り、
わちわちと言より、
黒煙一さんに鎌原の方へ…」
と、熱泥流が鎌原村へ
押し寄せていったと
記しています。
これは「天明の浅間焼け」と
呼ばれました。
これに関連して不思議な
話が……。【土下に埋って33年】、
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【浅間山の鬼富士山の鬼伝説】【ふ
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- 2025年03月26日
- 未選択
百名山の神話伝説・042「四阿山」
「百名山の神話伝説・042」
「四阿山」
▼【概略説明】
四阿山(あずまやさん)の
山頂には東側を向いた、
上州の祠と、
南側を向いた信州の祠が
建っています。
ここは信濃国の
豪族真田氏の信仰が
厚かったところ。
真田氏といえば、
豊臣秀吉の知将といわれた
真田幸村の家来の
真田十勇士。なかでも
忍術の猿飛佐助も
このあたりで修行したと
言い伝えられています。
佐助は、山頂南下の
鳥居峠のふもとの
郷士鷲塚家の生まれ。
最初鷲塚佐助と
いっていました。
いつも山中で猿などと
遊ぶうちに、
甲賀流忍術の「大名人」
戸沢白雲斎に見出され、
ミッチリと修行。
甲賀忍者の免許皆伝を
もらいました……
内容【山名由来】、
【日本武尊伝説】、
【甲賀流忍術白雲斎】
【猿飛佐助伝説】
【頼朝、にぎりめしを
投げつけられる】ほか
▼【続きを見る↓】
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den02.html
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・『山の神々いらすと紀行』
・『続・山の神々いらすと紀行』
・『ふるさとの神々何でも事典』
・『続・ふるさとの神々事典』
・『野の本・山の本』(全4巻)
・『ふるさとの祭事事典』
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「四阿山」
▼【概略説明】
四阿山(あずまやさん)の
山頂には東側を向いた、
上州の祠と、
南側を向いた信州の祠が
建っています。
ここは信濃国の
豪族真田氏の信仰が
厚かったところ。
真田氏といえば、
豊臣秀吉の知将といわれた
真田幸村の家来の
真田十勇士。なかでも
忍術の猿飛佐助も
このあたりで修行したと
言い伝えられています。
佐助は、山頂南下の
鳥居峠のふもとの
郷士鷲塚家の生まれ。
最初鷲塚佐助と
いっていました。
いつも山中で猿などと
遊ぶうちに、
甲賀流忍術の「大名人」
戸沢白雲斎に見出され、
ミッチリと修行。
甲賀忍者の免許皆伝を
もらいました……
内容【山名由来】、
【日本武尊伝説】、
【甲賀流忍術白雲斎】
【猿飛佐助伝説】
【頼朝、にぎりめしを
投げつけられる】ほか
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・『新・丹沢山ものがたり』
・『全国の山・天狗ばなし』
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- 2025年03月22日
- 未選択
百名山の神話伝説・041「草津白根山」
山のポンチ漫画家の
百名山の神話伝説・041
「草津白根山」
▼【説明】(概略)
草津白根山は、
草津にあるので
ほかの白根山と区別するため
草津白根となっています。
ここの白根は、
雪が積もっていなくても、
爆発のあとや火山灰、
火山礫などで白雪のように
輝いて見えるので
その名があります。
ちなみに
草津白根のクサツは、
石油の古語の
「くさうづ(くそうず)」
(くさみづ・臭水)から
生まれた地名だといいます。
この山はいまも
活動を続けている
活火山の
白根山(2160m)と、
古い活火山である
本白根山(2171m)が
ならんでいて、
そのすぐ南に三角点のある
2165mのピークが
あります。
その昔、日本武尊が
東征の時、
三原郷(嬬恋村)に
やってきて、
畑のあぜみちに落ちていた
サトイモの葉で
足を滑らせてしまいました。
転んだ拍子に
ゴマの枝葉で
目をついてしまいました。
あわてた日本武尊は
草津の湯で湯治した
という伝説もあります。
【詳細説明→】https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den01.html
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百名山の神話伝説・041
「草津白根山」
▼【説明】(概略)
草津白根山は、
草津にあるので
ほかの白根山と区別するため
草津白根となっています。
ここの白根は、
雪が積もっていなくても、
爆発のあとや火山灰、
火山礫などで白雪のように
輝いて見えるので
その名があります。
ちなみに
草津白根のクサツは、
石油の古語の
「くさうづ(くそうず)」
(くさみづ・臭水)から
生まれた地名だといいます。
この山はいまも
活動を続けている
活火山の
白根山(2160m)と、
古い活火山である
本白根山(2171m)が
ならんでいて、
そのすぐ南に三角点のある
2165mのピークが
あります。
その昔、日本武尊が
東征の時、
三原郷(嬬恋村)に
やってきて、
畑のあぜみちに落ちていた
サトイモの葉で
足を滑らせてしまいました。
転んだ拍子に
ゴマの枝葉で
目をついてしまいました。
あわてた日本武尊は
草津の湯で湯治した
という伝説もあります。
【詳細説明→】https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den01.html
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- 2025年03月16日
- 未選択
無題
百名山の神話伝説・039「武尊山」
▼【概略説明】
上州武尊山は、
「ホタカ大明神」を
まつった山だという。
この神は、北アルプスの
奥穂高岳と同じ
「穂高見命」のことだそうだ。
かつては宝高、穂高、
保鷹などと書かれていたものが
江戸時代になって、
武尊と書かれるように
なったという。
そのせいか、
沖武尊近くの川場武尊や
前武尊にも
日本武尊の像がある。
山麓には武尊神社があり、
日本武尊伝説も
多く残っている。
昔、武尊山に悪者がはびこり
村人を困らせていたという。
それを聞いた日本武尊が
討伐に出向いた。
日本武尊との戦いで
形勢不利とみた
悪者の首領夫人は、
「土出」という所に
逃げようと、山ろくの
片品村の花咲集落に下ったが、
力つきついにそこで
息絶えたという。
そのとき、
首領夫人の霊魂によって
石に花が咲いたと伝える
「花咲石明神」が、
現在でも花咲集落の
中心部にある。
▼【本文】もどうぞ。
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den09.html
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▼【概略説明】
上州武尊山は、
「ホタカ大明神」を
まつった山だという。
この神は、北アルプスの
奥穂高岳と同じ
「穂高見命」のことだそうだ。
かつては宝高、穂高、
保鷹などと書かれていたものが
江戸時代になって、
武尊と書かれるように
なったという。
そのせいか、
沖武尊近くの川場武尊や
前武尊にも
日本武尊の像がある。
山麓には武尊神社があり、
日本武尊伝説も
多く残っている。
昔、武尊山に悪者がはびこり
村人を困らせていたという。
それを聞いた日本武尊が
討伐に出向いた。
日本武尊との戦いで
形勢不利とみた
悪者の首領夫人は、
「土出」という所に
逃げようと、山ろくの
片品村の花咲集落に下ったが、
力つきついにそこで
息絶えたという。
そのとき、
首領夫人の霊魂によって
石に花が咲いたと伝える
「花咲石明神」が、
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- 2025年03月05日
- 未選択
無題
▼皇海山「山頂の剣と庚申山の怪人」
▼【概略説明】
皇海山頂、三角点の東側には
高さ2mもある青銅の剣が
建っている。
「庚申二柱大神 奉納
當山開祖 木林惟一」とあり、
裏に筆字で日付けが
書かれている。
木林惟一とは、東京の
庚申講の行者で、
庚申山から皇海山へ
通じる道を開き、
皇海山を庚申山の奥ノ院に
した人という。
青銅剣にある二柱大神とは、
この猿田彦命と、その妻・
天鈿女命のことか。
山の名は、山の形が髪を整える
コウガイに似ているため、
笄山と呼ばれていたが、
これにいろいろ当て字し、
いつしか皇海になったという。
ある初夏、
鋸山の手前にテントを張り
皇海山を往復。登山者は、
群馬県側から車で林道最奧まで
乗り入れた日帰り組ばかり。
山頂から北に延びる
わずかな踏みあとがある。
奥日光の山へつづく道だ。
遠く白根山が招いているような
気がした。
▼【本文】もどうぞ。
https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den08.html
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▼【概略説明】
皇海山頂、三角点の東側には
高さ2mもある青銅の剣が
建っている。
「庚申二柱大神 奉納
當山開祖 木林惟一」とあり、
裏に筆字で日付けが
書かれている。
木林惟一とは、東京の
庚申講の行者で、
庚申山から皇海山へ
通じる道を開き、
皇海山を庚申山の奥ノ院に
した人という。
青銅剣にある二柱大神とは、
この猿田彦命と、その妻・
天鈿女命のことか。
山の名は、山の形が髪を整える
コウガイに似ているため、
笄山と呼ばれていたが、
これにいろいろ当て字し、
いつしか皇海になったという。
ある初夏、
鋸山の手前にテントを張り
皇海山を往復。登山者は、
群馬県側から車で林道最奧まで
乗り入れた日帰り組ばかり。
山頂から北に延びる
わずかな踏みあとがある。
奥日光の山へつづく道だ。
遠く白根山が招いているような
気がした。
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- 未選択