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今月の【絵はがき通信】郵送しました。【とよだ 時】


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今月の【絵はがき通信】郵送しました。
【山岳はがき画の会】読者の皆さま、どうぞお受け取り下さい。





今月の【絵はがき絵通信】の内容は
・939号「海の銘山これひとつ・利尻山」
・940号「甲斐武田終えんの地と大菩薩嶺」
・バックナンバー(018)

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★1:山岳伝承【絵はがき通信】
・939号「海の銘山これひとつ・利尻山」
【前文】
日本最北にある利尻山は、島そのものがひとつの山になっていて、
その美しい姿から利尻富士とも呼ばれています。作詞家、時雨音
羽は「山は世界に山ほどあれど海の銘山これひとつ」と詠んでい
ます。ここにはなぜか熊やマムシなどのヘビ類がいないという。
・北海道利尻町と利尻富士町との境。 


★2:山岳伝承【絵はがき通信】
・940号「甲斐武田終えんの地と大菩薩嶺」
【前文】
中里介山の小説で有名な大菩薩峠の北方にそびえる大菩薩嶺も『日
本百名山』のひとつ。その山ろく天目山は甲斐武田氏の終えんの場
所。武田勝頼は、いまの山梨県甲州市田野で奥方とともに自刃。同
所景徳院にはいまでも2人の自刃の石碑や墓が残っています。
・山梨県甲州市と丹波山村との境


★3:【絵はがき通信】バックナンバー(018)


▼下記もどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/gateyuso/gateyuso.html







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槍ヶ岳の祠

槍ヶ岳の祠


シーズンになると槍ヶ岳は大混雑。きまって山頂の祠をバックにカ
メラにおさまります。山名は穂先の形によるという。


初登頂は播隆上人という念仏僧。1828(文政11)年の夏、阿弥陀如
来、観世音菩薩、文殊菩薩の3体の仏像を背負って登ったという。


その苦しみは背中の尊仏たちも汗を流すほどだったという。山頂を
平らにし、北側の高いところに小祠を造り安置。


のち、みんなが登れるようにと「善の綱」と名付けた綱を岩壁につ
け、木の祠をつくり新たに運んだ銅製の釈迦像を加え4体にし山の
寿命神にしたという。


しかし世は明治維新の混乱期に入り、いつか忘れられてしまいまし
た。いまあるのはその後何度か再建された祠。


8月、槍沢からの行列は山頂まで続く人々々。ホコラの前での記念
写真もままなりません。


あたり一面真っ白けのガスの中で、行列はいつまでも続いていまし
た。
・長野県大町市、同県松本市と岐阜県高山市との境(ただし標高点
は長野県)。




▼画像をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac03.html

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★「北ア・後立山連峰の八峰キレット」

北ア・後立山連峰の八峰キレット


後立山連峰の八峰キレットは、剱岳の八峰(やつみね)岩峰と区別
してハチミネと呼んでいます。


かつては大変な難所で、登山者はこの切れこみを黒部川側へ大きく
下り、また登り返すルートをとっていたという。


ここを初めて通ったのは、名前の通り八という猟師だとされていま
す。登山者としては、明治44年7月通過した中村孝二郎一行。ちな
みに積雪期の通過は、昭和6年春の京大パーティーだとか。


ところで江戸時代初めまでは、黒部川から立山あたりまでが信州の
ものと考えられていたそうです。しかし、加賀藩前田家は信州松本
藩の攻撃を恐れ、勝手に立入禁止にしてしまいました。


松本藩が抗議しますが、七万石と百万石の力の差はどうにもなりま
せん。天保年間にいまの境界に押し切られてしまったといいます。
・長野県大町市と富山県宇奈月との境。



▼画像をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac02.html







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▼メルマガ「山のはがき絵」 終わり





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★「神奈川県丹沢・姫次の伝説」

神奈川県丹沢・姫次の伝説


丹沢蛭ヶ岳の北方に「姫次」という所があります。姫とは、安土桃
山時代「天目山の戦い」で敗れた武田勢の旗本・小山田八左衛門丞
行村の娘・折花姫のことだという。


折花姫は神ノ川沿いに隠れ住みますが、信長・家康連合軍の執拗な
追及にあい、ついにここで追いつかれてしまいました。「もはやこ
れまで」。
自分ののどを突いて自害してしまった
と伝えます。だからここは「姫次」ではなく、「姫突き」が本当の
地名だという説があります。


また、昔はこのへんにウツギの仲間のヒメウツギがたくさん自生し
ていたという。これを略してヒメツギとなり「姫次」の字を当てた
との説もあります。


いまは姫次をヒメツグと読む人が増え、わによってどんどん変わ
っていくものですね。
・神奈川県相模原市


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http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac01.html





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▼「山のはがき絵」 終わり





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★「富士山・二人の姫伝説」

富士山・二人の姫伝説

不思議な話その1。絶世の美女の木花開耶姫に男神たちはみな思い
を寄せていました。


ある時姫はちやほやされる自分を意識し、またそれに満足している
ことにむなしさを感じ、自分に嫌気がさしました。姫19歳のとき、
ひとり白馬に乗って富士山頂へ。


そして山頂に立ち剣を地に刺すと静かに天に昇っていきました。こ
うして開耶姫は富士山に祭られる神になったのだそうです。


もう一人はかぐや姫。帝の后になってくれるように請われましたが
「自分はもともと人の身ではありません」と富士山の岩窟に籠もっ
てしまいました。


困った帝は王冠を勅使に託し、かぐや姫をさがしに登らせました。
しかし、王冠を富士山中腹で受け取ったかぐや姫は、それをつけた
まま山頂に消えていったという。


「富士山縁起」「神道集」「本朝神社考」などの古書に記載されてい
る話です。





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http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac03.html



▼山のはがき絵の会会員募集
http://toki.moo.jp/gaten/

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