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山の伝承ひとり画ってん「神奈川県・丹沢の不動ノ峰のお不動さん」

「神奈川県・丹沢の不動ノ峰のお不動さん」

▼お急ぎの方はこちらをどうぞ
【概略】
 蛭ヶ岳へ向かう途中の不動ノ峰の手前の休憩舎わきに風化した不
動さまの石仏があります。これはもとは不動ノ峰の山頂にあったと
いいます。

 蛭ヶ岳は別名毘盧ヶ岳といわれ、修験者たちの本尊である大日如
来の異名をもつ毘盧舎那仏をまつった山だったということです。か
つて大山修験の系統の日向薬師の山伏たちが宮ヶ瀬から早戸川をつ
めて、丹沢山北側下にある早戸大滝で身を清め、本尊大日如来をま
つる蛭ヶ岳に向かう途中、やっと登りついたこの山(不動ノ峰)。

 ここを霊地として定め、早戸大滝の上の山に不動明王をまつった
のだろうとされています。昭和38(1963)年ころ、伊勢原日向薬師
堂常連坊で見つかったという古文書『峰中記略控』にも、「是より
峰に登り神前の平地なり。比所に不動尊あり」と記されているそう
です。
・神奈川県相模原市と山北町との境

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▼神奈川県・丹沢の不動ノ峰のお不動さん
【本文】
 神奈川県と山梨県にまたがる丹沢山塊。その中心・丹沢山から主
稜づたいに蛭ヶ岳へ向かう途中に不動ノ峰というところがありま
す。その手前の広場・休憩舎わきに風化した不動さまの石仏がある
のをお気づきですか。形が分からなくなるほど風化してしまってい
ますが不動さまなのだそうです。

 これはもとは不動ノ峰の山頂にあったそうです。不動さまは、清
水の湧く場所や滝によくまつられる仏像です。丹沢は昔から山伏た
ちの修行の場でした。蛭ヶ岳は別名毘盧ヶ岳(びるがたけ)といわ
れ、修験者たちの本尊である大日如来の異名をもつ毘盧舎那仏(び
るしゃなぶつ)をまつった山だったということです。

 かつて大山修験の系統の日向薬師(ひなたやくし)の山伏たちが
宮ヶ瀬から早戸川をつめて、丹沢山北側下にある早戸大滝で身を清
め、本尊である大日如来をまつる蛭ヶ岳に向かいました。その途中、
やっと登りついたのがこの山(不動ノ峰)です。そこで、ここを霊
地として定め、早戸大滝の上の山に不動明王をまつったのだろうと
されています。

 1963年(昭和38)ころ、伊勢原日向薬師堂の常連坊で見つかった
という古文書『峰中記略控』にも、「是より峰に登り神前の平地な
り。比所に不動尊あり」との記載があるそうです。この石仏も明治
になって再建されてといいます。

 丹沢の研究者・坂本光雄氏は「塔ノ岳孫仏記」(「あしなか」第4
1輯(1927年・昭和2)所載)の中で次のような意味のことを書い
ています。「いままつられている不動ノ峰の新しい不動の石像は、
塔ノ岳にあった尊仏岩と関係の深い東光院の本寺である最明寺の第
30世の住職・大阿闍梨(あじゃり)真順坊実辨僧正という偉い坊
さんが願主になって、1874年(明治7)に再建したもの。

 台座の右横には「再建施主・相州足柄上郡金子村惣村中」、左横
には「世話人堀村源右衛門」、真裏には「別当(寺務を統御した者)
川村東光院」と刻まれている」という。新しいものとはいえ、1874
年(明治7)では風化されるのは無理もないか。

▼不動ノ峰【データ】
【所在地】
・神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)と同県足柄上郡山北町
との境。小田急渋沢駅からバス、大倉から歩いて5時間で不動の峰。
写真測量による標高点(1614m)と、休憩小屋、風化した不動明
王がある。
【位置】
・標高点:北緯35度28分37.62秒、東経139度09分7.21秒
【地図】
・2万5千分の1地形図「大山(東京)」

▼【参考】
・「あしなか3」第41輯
・『かながわの山』植木知司(神奈川合同出版)1981年(昭和56)
・「尊仏2号」栗原祥ほか(さがみの会)1989年(平成1)


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▼ふるさとの神々・ひとり画ってん「あちこちの山でよく耳にする普寛行者」


▼ふるさとの神々・ひとり画ってん「あちこちの山でよく耳にする
普寛行者」

【概略文】(400字)
 木曽御嶽山の王滝口を開いた普寛(ふかん)行者は、江戸中期の
修験者で、関東一円と長野県、愛知県、岐阜県、山梨県などの各地
に御嶽講を組織した人物。その講中が建てた「木曽御嶽講碑」は、
御嶽山の山内や、各地の御嶽神社、その他の神社の境内でも見受け
られます。

 普寛行者は、高山植物のコマクサからつくる、腹痛の霊薬「木曽
百草」の創始者でもあります。埼玉県大滝村には、行者をまつる普
寛神社もあります。神社の奥ノ院は神社背後の「秩父御岳山」。そ
こには、祠があって、そのわきには、釣り鐘があって、時々ハイカ
ーがつく鐘の音が響きます。

 群馬県上州武尊沖武尊という峰の山頂には「御嶽山大神」の石碑
がありますが、これも普寛行者にちなんでいます。また沖武尊南東
にある剣ヶ峰には、普寛行者の霊神碑もまつってあります。

 これは修行を積んだ行者が亡くなった後、霊神を名のり碑を建て
る「御嶽講」独特のものだそうです。
・埼玉県秩父市大滝(旧秩父郡大滝村)と同県秩父郡小鹿野町両神
(旧秩父郡両神村)との境。

▼さらには説明【本文と画像(筆者のページ)】をどうぞ。↓
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こんな話も大まじめ「和歌山県・高野山の天狗の前身の姿は?」


▼山の伝説ひとり画ってん「和歌山県・高野山の天狗の前身の姿は?」

【概略】
 弘法大師開山した霊地・高野山には、もともと山神や地主神、天
狗たちが、参拝者たちを守るためにすんでいたらしい。なかでも護
法天狗高林坊は、言い伝えが少なく地味ですがその貫禄から、高野
山の天狗たちの総大将であろうとされています。

 さらに高林坊の前身は、弘法大師空海を山上に導いた狩場明神で
はないかと、天狗の研究家はいいます。伝説によると弘法大師はは
じめ、唐の国に留学していましたが、日本に帰るため船に乗るとき、
持っていた三鈷杵を海の中に投げ込んだという。

 大師は、密教が日本に渡れるならばこの杵を先に渡すから、布教
をする所としてふさわしい霊地を見つけておいてくれるよう願いを
こめていたのです。

 815年(弘仁6)、高野山の神・狩場明神(かりばみょうじん)と
出会った弘法大師は、明神の案内で(使者である黒白2匹の犬の案
内とも)で、高野山の三鈷杵のある場所までたどり着くことができ
たという。
・和歌山県高野町

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山の伝承ひとり画ってん「裏丹沢・焼山は火事が多かった」


「裏丹沢・焼山は火事が多かった」

【概略】400字
 丹沢主脈の末端にある焼山の山頂には3つの祠が建っています。
ここは以前は鳥屋、青野原、青根の旧3村の境界で、境界争いによ
る出火からたびたび山火事を起こし焼山と呼ばれるしまつ。

 そこで村々が集まり境界にそれぞれ石祠を建てたと伝えます。こ
の祠は3つとも焼山権現をまつり、青根社は青根方面を、鳥屋社は
鳥屋方面を、また青野原社は青野原方面を向いて建っています。こ
れが建ってからは山火事もなくなったということです。

 9月の蒸し暑い日に蛭ヶ岳から姫次を経由して祠をスケッチに行
きました。疲れた体には同じようなものを3つも描くのは、ちとう
んざりです。

 祠は建て直されたものもあるのか、青根社には昭和22年の文字が、
鳥屋社には明治32年の銘があり、わきにハートを逆さにしたような
紋が彫ってありました。
・神奈川県相模原市(旧津久井郡津久井町)。


▼「イラスト」と説明文は下記からどうぞ。
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こんな話も大まじめ「静岡県天城山の怪人・万二、万三郎を知っていますか」


▼山の伝説ひとり画ってん「静岡県天城山の怪人・万二、万三郎を
知っていますか」

【略文】400字
 伊豆の山といえば天城山。しかし天城山という山はなく、天城山
地の総称で、ふつうは主峰の万三郎岳(1405.3m)、万二郎岳(1299
m)をいい、広い意味では天城西山稜の達磨山(万太郎山・番太郎
山)や猫越岳(ねっこだけ)をはじめ、南豆の猿山、長九郎山、婆
娑羅山(ばさらやま)まで天城山なのだそうです。

 別称を天城山地、鹿野山地、甘木(天木)、尼木山(あまぎやま)
ともいうそうです。天城(甘木)山は修験道の祖・役行者(えんの
ぎょうじゃ)にも関係のある山です。

 万二郎岳、万三郎岳にはそれぞれに万二郎坊、万三郎坊という名
前の天狗の兄弟がすんでいるらしい。主峰の万三郎岳にすむ万三郎
坊が兄で、低い方の万二郎岳にすむ万二郎坊が弟だという。

 この兄弟は仲がよく「八丁の池」で水浴びしたり、万二郎岳にあ
る「天狗の土俵場」で相撲をとって遊ぶという。
・静岡県伊豆市と賀茂郡東伊豆町との境。

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