某月某月「海を渡って富士山と背比べにきた山」
海を渡って富士山と背比べをしにきた山
昔々、まだ日本中が国造りの途中だったころの話です。富士山がど
んどん大きくなっていくのを見て、全国各地の山々は次々に背比べ
を挑んできました。
そして競争に負けると富士山は相手を蹴飛ばして低くしてしまいま
した。
そのなかでも一番有力視されていた白山も富士山に負けてしまいま
した。
それを聞いた外国の山も黙っていられません。愛鷹山(富士山の南
東にある)もわざわざ中国から海を渡ってやってきたという。
柳田國男も「日本の伝説」の中で駿河の足高(愛鷹)山は、大昔諸
越(もろこし)という国から、富士山と背競べをしに渡ってきた山
だという。
それを聞いた箱根の足柄山の足柄明神が「富士山と勝負だなんて生
意気な山だ」と怒って足で蹴飛ばして崩してしまいました。
そのかけらが海の中からだんだん寄せ集まり、海岸に小高い陸地が
できあがりました。
それが浮島が原だということです。・静岡県富士市、沼津市、裾野
市、駿東郡長泉町の境。
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★おわり
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- 2016年09月25日
- 山の伝承
山里徘徊・田園博物「稲架(とうか・はさ)」
▼某月某日・田園博物「稲架(とうか・はさ)」
自脱式小型コンバインが普及した今日、あまり目にしなくなりまし
たが、かつては稲は鎌で一株一株刈り取って、束ね、杭や棒にかけ
て乾燥しました。
しかしいまでも小さな田んぼでの手刈りや、バインダー(刈り取り
結束機)で刈り取った稲株は地面に広げたり、杭にかけたりして乾
燥させています。
稲は刈り取ったときには、籾に20から25%の水分を含んでいるとい
う。これを干して15%以下に減らしてから脱穀をします。
稲架は、はさ、とうか、いなか、はざ、また、稲木、稲掛けなどと
もいい、横に渡した竹、棒、綱などに稲束をかける方法です。
これは、直接田んぼの地面に干せない湿田地帯で行う方法で、地方
独特の形があります。
架(はさ)が一段だけの単段架は一番簡単な方法で、100mにもな
る長さのものもあり、またコの字形やジグザグにならべ建てたもの
もあります。
この田んぼにならんだ稲架は秋の田園風物詩になっています。北陸
や山陰地方では何段仕立てにした壁のような構造にした多段架形式
があり、家の回りに作ったりします。
この多段架には垂直架と傾斜架があり、傾斜架は稲をかける面が傾
斜しており、なかには両方が斜面になった屋根形もあるという。
新潟地方ではハンノキを植えて幹を利用し多段架を組むという。最
近は鉄パイプやコンクリートの杭も使用されているそうです。
また、風の強い地方では稲架面に穴をあけ風による倒伏を防ぐなど
その地域伝統の方法を取り入れてあるようです。
私の生まれた千葉県下総地方では、オダ(小田)と呼び3本の柱に
竹などを渡したもの。
その支柱をオダアシ(小田足)とよんで子供のころから運ぶのを手
伝わされたものでした。
その他、稲を干す方法には、地干し(田んぼの地面にならべて乾か
し、2,3日乾燥したあと、束ねえふたたび乾燥する)の方法、積
み干し(ニオにして乾燥させる方法)、杭干し(棒杭にかける)な
どがあります。
なお、架干しは古く、平安時代の841(承和8)年に、最も有効な
乾燥の仕方として奨励した記録があるそうです。
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▼終わり
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- 2016年09月24日
- 未選択
某月某月「立山・竜王岳の天狗と竜」
立山・竜王岳の天狗と竜
立山浄土山の一角にそそり立つ岩峰龍王岳。山頂の鋭い尖峰に降っ
た雨はこのピークで2分され、東に流れて黒部川、西に流れて常願
寺川に注いでいます。
ザラ峠から西側、常願寺川に下る途中の立山カルデラ底池沼のひと
つ刈(狩)込池があります。この池は竜王の住みかだそうです。
立山開山の祖である佐伯有頼は、常願寺川の氾濫を鎮めるために立
山権現に祈って、水害をもたらしている三里四方の悪竜や、大蛇を
すべてこの池に封じ込めたという伝説があります。
「南谷には大きな池よ、山を開いた有若(有頼)さまは、あまたの
大蛇が住みなす故に、権現さまに頼ませられて、大蛇刈込池じゃと
ござる」…。「飛騨越中安政地震 山抜泥水化物口説」の一節です。
これは1858(安政5)年の地震による大水害を記憶にとどめるた
め、を流布させた口説節というものだそうです。
・富山県立山町。
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- 2016年09月23日
- 山の伝承
山里徘徊・いなかの神さま「庚申さま」
▼某月某日・山里徘徊「庚申さま」
村の辻や道ばたに、「庚申塔」と彫られた、庚申待ちの供養塔を見
かけます。
庚申とは、カレンダーや暦に記されている十干十二支(じっかんじ
ゅうにし)の一つ「かのえ(庚)さる(申)」の日。
60日に一度めぐってくるこの日、眠らずに一夜を過ごして健康長寿
を願うのが庚申待ちの信仰です。
「かのえさる」の日は年に六回ありますが、地域によって、毎回行
う所と、年の初めと終わりの2回行う所がありました。
中国の道教では、人間の体には三尸(し)の虫がすんでいて、かの
えさるの夜、寝ている間に抜け出します。
そして玉皇天帝(北極星)のところに、その人の悪事罪科を報告に
出かけます。
報告を受けた天帝は、その悪事罪科により、人間の寿命を決めると
いう思想がありました。
むらびとが「そうはさせじ」とお堂に集まり、飲食して虫を封じ込
めたとか。娯楽のない時代の楽しみの一つだったのでしょう。
・初庚申つつしみ顔の媼(おうな)連れ(広瀬直人)
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▼終わり
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- 2016年09月22日
- 未選択
某月某月「富士山が日本一大きくなったわけ」
富士山が日本一大きくなったわけ
昔、妹の駿河富士(木花開耶姫)と姉の伊豆下田富士(磐長姫命)
は、昔は高さも同じくらいで、仲むつまじい姉妹山だったといいま
す。
しかし成長するにつれ、妹(駿河富士)はますます美しくなり、姉
(下田富士)は醜くなっていったという。
姉は次第に妹を嫌いはじめ、ふたつの山の間に天城山という屏風を
立てて見られないようにしてしまいました。
姉の姿が見えなくなり、不思議に思った妹は様子をうかがおうと背
伸びをします。
姉は見られまいと身をかがめ、ますます小さくなっていきました。
妹は背伸びをしながらどんどん大きくなりとうとう日本一の高さに
なったという。
そんな姉たちの不仲なのを見て、末娘の八丈島の八丈富士は胸をい
ためているという。
このようにして日本一の高さになった富士山をみて、あちこちの山
々が背競べをいどんで来ることになるのでした。
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- 2016年09月22日
- 山の伝承