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山・花・峠の伝説民俗「東北・早池峰薬師岳の薬師堂」


某年8月4日(金曜日、天気・晴れ)
「東北・早池峰薬師岳の薬師堂」

早池峰山の南、小田越えを隔てて対峙する薬師岳は、その名の通り
薬師信仰に由来しています。

山頂の南麓を、小田越えから又一の滝を経て遠野市附馬牛町に至る
「横通り」。その途中に薬師堂があって、なかに薬師如来の石の座
像がまつられています。

これは、遠野市小出集落の佐々木祐蔵という人と、上組丁の川村市
郎兵衛の2人が奉納したものといい、いまでも附馬牛町の人たちの
篤い信仰を受けていると伝えます。かつて薬師岳には石像の権現が
祀られていたといいます。

また、ここ薬師岳と早池峰山頂と結ぶ線上にも、神遣権現社(かみ
わかれごんげんしゃ)、宿の新山神社、その他の旧跡がならんでい
たと伝えますがいまは見あたりません。

いま薬師堂を通る「横通り」は、人にあまり会わず静かな山旅が楽
しめます。
・岩手県遠野市と大迫町との境

▼【本文】と【データ】、イラスト画像をどうぞ。
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山・花・峠の伝説民俗「北ア・笠ヶ岳登山道笠新道の風穴」

某年8月3日(金曜日、天気・晴れ)
「北ア・笠ヶ岳登山道笠新道の風穴」

ここの笠ヶ岳ほどどこから見ても同じ形をした山はないという。お
なじみの念仏僧播隆上人がここに登り、東の空に浮かぶ天をつくよ
うな槍ヶ岳を見て、初登頂を決意した話は有名です。

笠ヶ岳の登山は遠く鎌倉時代の中期、文永年間(1264~75)からは
じまっていたというから古い。地元の高原郷本覚禅寺の道泉という
和尚さんが初登頂との説があります。ただ大昔のこととてはっきり
はしませんが…。

時は下り、江戸時代の元禄年間、仏像を鉈一丁で刻むことで有名な
円空も登ったともいわれています。

ある夏、新穂高温泉に入りました。近くのキャンプ場で1泊し登り
はじめた笠ヶ岳の笠新道。今夏は記録的な猛暑。急で長い登山道に
ウンザリしたとき、見つけた風穴。

冷たい風が岩穴から噴き出ています。みんなで寄り集まってきまし
た。
・岐阜県高山市上宝町(旧岐阜県吉城郡上宝村)。JR高山本線高山駅
からバス新穂高温泉さらに歩いて5時間半で笠新道風穴。

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山・花・峠の伝説民俗「丹沢・塔ノ岳のニシキウツギ」

某年8月3日(金曜日、天気・晴れ)
「丹沢・塔ノ岳のニシキウツギ」

塔ノ岳の不動清水。最近は水量が少なくなったとはいえ、いまはな
おさら貴重な水場です。ふと足元に落ちているピンクの花が落ちて
います。

立ち止まって見あげるとニシキウツギの花が満開に咲いています。
花は5つに裂けた漏斗状。はじめ淡黄色をしていますが、のちピン
クがかった紅色に変わります。

しかしはじめから白や赤で変化しないものもあるという。二色ウツ
ギか錦ウツギか…。図鑑を調べたら漢字で書くと二色空木だとあり、
同じ仲間のサンシキウツギ(三色空木)に対する名前で、美しいか
ら錦ウツギというのではないとありました。

花期は5~6月。日本特産。ウツギの仲間はやたらと多い。そのは
ずで山地型であるニシキウツギから海岸型のハコネウツギへの移行
が多いため区別するのが難しいのだそうです。
・神奈川県秦野市と山北町、清川村の境

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山・花・峠の伝説民俗「東北・岩手山のコマクサ」


某年7月30日(日曜日、天気・ガスのち晴れ)
「東北・岩手山のコマクサ」

その昔、坂上田村麻呂は伊勢の国鈴鹿山の鬼退治に乗り込みま
した。しかし鬼はおらず神女がひとり。

神女は、我はこの山に住む立烏帽子というものなり。日ごろ国中が
騒がしいのは、奥州厳鷲山(岩手山)にすむ鬼・大武(大猛丸)が
わらわを犯そうとやってくるが従わぬため暴れまわっている。我、
汝の嫁になり援助するので大武と戦い勝利を得よ。と宝剣を贈った。
田村麻呂はその剣を手に栗駒に乗り、岩手山に大猛丸退治に向かっ
たという。

岩手山はコマクサの大群落。東斜面ではこれらの高山植物が点在す
る火山性砂礫地が標高1300mにまで降りてきているという。ここの
コマクサは秋田駒ヶ岳の群落のならんで北アルプス白馬岳をしのい
で1、2を争うのかも知れないともいわれています。
・岩手県岩手郡雫石町と同県八幡平市、同県岩手郡滝沢村との境。

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山・花・峠の伝説民俗「秩父御岳山・普寛行者と木曽御嶽」

某月某日(日曜日・雨)
「秩父御岳山・普寛行者と木曽御嶽」

秩父御岳山は山ろく大滝村落合の修験者普寛行者によって開かれた
といいます。そのため、山頂に行者をまつる普寛神社奥の院があり
ます。

普寛行者は江戸中期の修験者で、三峰山で天台密教を修行ののち、
全国の霊山を巡歴。三峰山の奥の院をはじめ武甲山、上州武尊山、
越後八海山、木曽の御岳山王滝口、三笠山、筑波山、羽黒山、戸隠、
立山、白山、阿蘇山、国見岳、桜島にまで足をのばしたという。

なかでも、寛政4(1872)年6月には木曽御岳山の未開拓なのを聞
き、御岳山大滝口を開きました。大滝口とはもちろん生地の大滝村
にちなんでつけた名。

52歳の時、伝燈大阿闍梨になりました。秩父御岳登山口・落合には
普寛神社里宮があって、登山者は必ずおまいりする所。時どき山頂
奥宮の鐘の大きな音が聞かれます。
・埼玉県秩父市と小鹿野町との境

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