忍者ブログ
< 04月 | 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 | 06月 >
Home > カテゴリー > 山の伝承

無題


『日本百霊山』ヤマケイ新書15番「至仏山と四仏山」関連画像


尾瀬ヶ原をはさんで、北東に燧ヶ岳、北西に至仏山とふたつの山は、
好一対をなす秀峰として並び称される火山。至仏山は大正時代、登
る道がなくてムジナ沢(渋ッ沢)沿いに登ったので、その「シブツ
沢」から来たのではともいいます。この沢の岩は、赤泥をなすり付
けたような暗赤色でココアに近い色だという。江戸時代後半の文書
には「四仏山」とも書かれたそうです。
・群馬県みなかみ町と片品村との境。




…………………………
★本書は私が勝手に選定した100の百霊山です。税込み950円。書
店にないときはご注文をお願いします。アマゾンなら確実に入手で
きます。
・山は神仏や精霊、天狗や怪異と人の出会う霊域 神話や伝説を訪
ね高峰から里山まで日本全国の百山を紹介…



▼「イラスト」と説明文は私のHPでどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/reizan/reizan05.html








…………………………………
・山のはがき画読者募集(毎月郵送): http://toki.moo.jp/hagakiga/(私のHP)
  (1971年(昭和46)創刊)
・【仕事部屋】へもどうぞ: http://toki.moo.jp/tacoroom/(私のHP)
・【グッズマイショップ】:https://suzuri.jp/toki-umoart
(バッグ、Tシャツ・コーヒーカップ)
・【作家応援投稿SNS】:http://gaca.jp/
…………………………………




★おわり
………………………………………………………………………………

拍手[0回]

PR
▲page top

山のはがき絵「北ア立山・天狗山と国見岳の天狗」


北ア立山・天狗山と国見岳の天狗



江戸後期、松浦靜山があらわした『甲子夜話』に、天狗たちが立山
の洞窟に集会した話が出てきます。


その洞窟は、立山の天狗山近くの天狗平周辺だという。しかし、古
い地図では西側の峰(いまの天狗山)を国見岳、東側の峰(いまの
国見山)を天狗平と記されているというから困ります。


これは明治時代以後、誤って西峰を天狗山、東峰を国見山としてし
まったのです。この呼び方が定着、いまにつづいているという。


現に西の峰は富山平野を眼下に見下ろすことができ、国見岳にふさ
わしく、東の峰は室堂に近く、昔から深夜に天狗倒しの音を聞こえ
ると恐れられていた言いつたえとも符合しているという。


しかしまあ、山の名が入れ替わっていたとしても天狗の伝承の濃い
山に違いはありません。


天狗平山荘裏手の沢には水原秋櫻子の句碑「龍膽や巖頭のぞく剱岳」
があるそうです。
・富山県中新川郡立山町(合併なし)。



▼「イラスト」と説明文をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac03.html








★おわり
………………………………………………………………………………

拍手[0回]

▲page top

某月某日「八ヶ岳・阿弥陀岳南陵」


▼某月某日「八ヶ岳・阿弥陀岳南陵」




阿弥陀岳は赤岳と共に修験道の奥の院にあたり、山頂には石仏がた
くさんあってとくに阿弥陀像とその本尊大日如来の石碑がよく目立
ちます。


阿弥陀岳から南に延びる尾根南稜に立場山があって初冬から早春、
牡鹿の角形の雪形が現れ、山麓の農民は雪のとけ具合で農作業の時
期を判断したという。


3月上旬、立場川の旭小屋で朝食。小屋の裏手から阿弥陀南陵を登
りました。


無名峰でアイゼンをはき、岩場をいくつか過ぎるといよいよ雪の詰
まったP3のガリーです。勾配が急で足首が痛い。


山頂には石仏・石碑が雪の中から顔を出しています。北アルプス、
南アルプス、富士山など豪快な展望がひろがります。


石仏のうしろから急斜面を行者小屋へ下ります。吹雪やガスの時も
石仏は迷わないよう道標の代わりにもなっているのです。
・長野県茅野市と原村との境



▼↓【画像】と説明文をどうぞ
http://toki.moo.jp/merumaga/nonoyama/nonoya02.html






…………………………………
・山のはがき画読者募集: http://toki.moo.jp/hagakiga/
 (毎月郵送)(1971年(昭和46)創刊)
・【仕事部屋】へもどうぞ: http://toki.moo.jp/tacoroom/
・【グッズマイショップ】:https://suzuri.jp/toki-umoart
(バッグ、Tシャツ・コーヒーカップ)
・【作家応援投稿SNS】:http://gaca.jp/
…………………………………



▼終わり
………………………………………………………………………………

拍手[0回]

▲page top

山のはがき絵「八ヶ岳・富士山との背比べと天狗たち」


八ヶ岳・富士山との背比べと天狗たち



富士山と八ヶ岳の背比べ伝説は有名ですが、こんな話もあります。
大昔、あちこちの地面に音もなくしわが寄りはじめました。


しわは見るみる盛り上がり、煙と火と泥が吹き出してどんどんと高
くなっていき、山が生まれました。


こうして生まれた山々の中で、目立って高いのが富士山と八ヶ岳で
した。


そのうち、どちらともなく背の高さを自慢し競争をはじめました。
先に生まれた八ヶ岳はさすがにどんどん高くなっていきました。


富士山も負けずに伸びています。八ヶ岳はこの辺で差をつけてやれ
とばかり、「グイ」と背伸びをしました。


そのとたん、頭の方が3分の1ばかりポッキリと折れてしまいまし
た。


折れた八ヶ岳の頭からは新しくいくつもの頭が出てきましたが、高
くはなりませんでした。


八ヶ岳はくやしくて毎日泣いていました。8つの頭の両方の目、計
16もの目から涙を滝のようにあふれ出ています。



▼「イラスト」と説明文をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac02.html









★おわり
………………………………………………………………………………

拍手[0回]

▲page top

山のはがき絵「小蓮華山と風切地蔵」


小蓮華山と風切地蔵



新潟県糸魚川市方面から白馬岳方面を見ると、谷奥深く雪をいだい
た峰々がまるで白いハスの花弁に見えるそうです。


そこで越後側では、この周辺の山を蓮華岳と呼び、大蓮華(白馬岳)
のとなりの小さい山を小蓮華と呼んだそうです。


その小蓮華山の大日如来像は「風切地蔵」とも呼ぶそうです。小蓮
華山頂と、ふもとの白馬村落倉集落の風切地蔵、そして柄山(から
やま)峠(長野県白馬村と鬼無里村との境)の風切地蔵は東へ向か
って一直線。


これは冬至の「日の出」と夏至の「日の入」にぴったりと符合。結
界を形づくり、昔からこのラインの南には「魔」が入らないと伝え
られています。


落倉地区にはそんな風切地蔵に感謝してはじまった地蔵祭りの由来
伝説も残っています。


いまでは「落倉の風切地蔵」は、白馬地方や小谷方面などの人たち
に親しまれています。
・長野県小谷村と新潟県糸魚川市との境。



▼「イラスト」と説明文をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac01.html








★おわり
………………………………………………………………………………

拍手[0回]

▲page top

▲page top