▼某月某日「東北・飯豊山草履塚の石仏」
▼某月某日「東北・飯豊山草履塚の石仏」
飯豊連峰の数ある峰々中で主峰とされる飯豊山は、山形県と新潟県
境にありながら、山頂一帯だけは福島県の一部という飛び地になっ
ている奇妙な境界線。
飯豊山山頂から東南に下って約1時間、草履塚というピークがあり
ます。
かつては剱神社と草履小屋があったところで、お山の飯豊神社にお
参りに来た人は、ここで草履をはきかえてから出発したという。
7月末、ギラギラと真夏の太陽が照りつけます。まだ8時だという
のにもう汗だくです。
登山道の突然の下り、降りついた所に妙な石仏があります。その昔、
羽前の国小松出身のある姥が女人禁制の飯豊山に登りたい一念で、
ここまで来ましたが神の怒りにふれて、むなしく石にされたという
伝説がある姥権です。
細長い葉の茂った草が覆った囲いの中で姥権は、ハンカチやタオル
をまいています。うつむけた風化した顔がものすごい表情に見えま
した。
・福島県喜多方市山都町
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▼終わり
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- 2016年02月21日
- 山歩き
某月某日「奈良・高天彦神社土蜘蛛窟」
某月某日【山の伝承漫画】「奈良・高天彦神社土蜘蛛窟」
『古事記』や『日本書紀』などの神話伝説に出てくる高天原はここ
だという所は各地にありますが、ここ奈良県御所市高天集落もその
ひとつです。
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祭神とする高天彦神社もあり
ます。昔、ここに土蜘蛛が住んでいたという。
土蜘蛛は鬼と同じように、古代、朝廷に従属しない先住の人々をよ
ぶ蔑視語。伝説によれば、土蜘蛛はサルチ(猿伐)という所から矢
で射殺され、蜘蛛塚に埋められたという。
かなり前の4月、高天彦神社から土蜘蛛の住処だったという蜘蛛の
窟を訪ねました。蜘蛛窟は杉林の中にあり、径2m位の場所がコン
クリートで固められ石碑も建っています。
そこから伸びる踏み跡一本。ザックをおろし、結構な距離歩いた歩
いた。
たどり着いてみれば枯れ葉で埋まった同じようなくぼ地がポツン。
登山靴で切り株を蹴りつけました。
・奈良県御所市高天
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★おわり
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- 2016年02月20日
- 山歩き
★山の伝承「石仏紀行・狛猫?狛虎・狛犬?」
石仏紀行・狛猫?狛虎・狛犬?
山伏峠の名は三方に尾根を伏せた(山が伏す)ような地形から来て
いるのだとも、このあたりに伝わる伝説の「三正坊」の3人の山伏
にちなむ説。
またフセは地形語で傾斜地のことで、三つの傾斜地を持つ峠との説
もあります。この峠は日本で最も高い峠で「日本三峠」のひとつで
もあります。
南北朝時代、南朝方後醍醐天皇の皇子宗良親王が南朝勢力挽回のた
め、登山口大鹿村に根拠地をおき、東奔西走したという。同親王の
『李花集』という本に出ています。
大鹿村から三伏峠を目指すには塩川小屋経由の塩川ルートが普通で
したが、最近は鳥倉林道が豊口山南方の標高1700m付近まで開通。
登山者も、登りのきつい塩川経由より楽な鳥倉林道から入る人が増
え、今後は塩川小屋はさびれてしまうかもしれないという。
かつてお世話になった塩川小屋のおばさんの顔が浮かびます。
・長野県大鹿村と静岡市との境。
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- 2016年02月19日
- 山歩き
★某月某日「北アルプス槍ヶ岳へつづく喜作新道」
某月某日「北アルプス槍ヶ岳へつづく喜作新道」
▼某月某日「北アルプス槍ヶ岳へつづく喜作新道」
長野県大町市の中房温泉から燕岳、大天井岳、西岳から東鎌尾根経
由で槍ヶ岳へ真っ直ぐ登山道が延びているのが喜作新道です。
アルプス表銀座コースとして大勢の登山者が訪れます。その名のよ
うに喜作という人が造った道です。
喜作とは安曇野市穂高牧集落出身の猟師小林喜作のことで、1922年
(大正11)にこの道を開拓、槍ヶ岳直下の殺生小屋や西岳小屋を建
てたという。
喜作が自分の家に用事で戻る姿が当時の「銀ぶらの格好」だったの
がその名の由来だそうです。
その後喜作は息子と一緒に後立山連峰に猟に出かけ、爺ヶ岳裏の棒
小屋沢で雪崩で死んだという。
この喜作新道を記念して、大天井岳の周辺にレリーフがいくつか掲
げてあり、毎年秋には「喜作祭り」の記念山行も行われているそう
です。
・長野県大町市、松本市と岐阜県高山市との境。(ただし山頂は長
野県)。
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- 2016年02月18日
- 山歩き
★山の伝承「長野県・修那羅山の蔵王石仏」
長野県・修那羅山の蔵王石仏
ふつう「蔵王」というと東北の蔵王連峰を思い浮かべます。しかし、
その元である蔵王権現は修験道の祖・役ノ行者が、奈良県の吉野金
峰山に籠もり、感得した菩薩だそうです。
その像は青黒色の憤怒相。怒髪天をつき、右足を踏み上げ左足で岩
の上に立っています。
これは仏典には説かれていない日本独自の神だそうです。平安時代
以降密教が盛んになるにつれ全国に広がり、東北の蔵王連峰や木曽
御嶽山はじめ、日本各地の名山、霊山にまつられています。
奇抜な形の石仏と数の多さで有名な北信の修那羅峠。安宮神社の裏
山の細い道に石神石仏が五百体もならんでいます。
そんな中にも蔵王権現が鎮座まします。ここの蔵王権現は口をとが
らせ、右足を上げ、剣を振り上げた姿はいかにも親しみやすい。
頭上を覆う火焔がいま盛りのヒマワリの花に見えました。
・長野県筑北村と青木村との堺。
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- 2016年02月16日
- 山歩き