尾瀬沼のほとりに牛を入れるな
某月某日(日曜日 天気:快晴・雷雨)
「尾瀬沼のほとりに牛を入れるな」
尾瀬に住んでいた尾瀬大納言が飼っていた赤い牛が、死後、尾瀬沼
のヌシになった。
このヌシはなぜか牛が大嫌いで、牛の姿を見ると黒雲を呼んでは大
暴風雨をおこし、大暴れ。
村人はいつか尾瀬沼の畔には牛を入れてはならぬというタブーをつ
くった。
・群馬県片品村と福島県桧枝岐村との境
【解説文】、イラスト、データをどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/ninjamt/ninjamt.html
▼【とよた 時】のホームページ:http://toki.moo.jp/
・友だちリクエストお待ちしております。
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「尾瀬沼のほとりに牛を入れるな」
尾瀬に住んでいた尾瀬大納言が飼っていた赤い牛が、死後、尾瀬沼
のヌシになった。
このヌシはなぜか牛が大嫌いで、牛の姿を見ると黒雲を呼んでは大
暴風雨をおこし、大暴れ。
村人はいつか尾瀬沼の畔には牛を入れてはならぬというタブーをつ
くった。
・群馬県片品村と福島県桧枝岐村との境
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山・花・峠の伝説民俗「奥秩父・金峰山の五丈岩」
某月某日(金曜日 天気:晴れ)
「奥秩父・金峰山の五丈岩」
金峰山頂には、形が大黒さまに似ているというので、御像岩とも呼
ばれる岩峰・があります。
山梨県甲府市御岳町の金桜神社の由緒書によれば、ここはかつて金
丸山といっていましたが文武天皇の時代(飛鳥時代)に奈良の金峰
山から蔵王権現を勧請し本宮(山宮)と里宮にまつったため金峰山
と名を変えたという。
金峰山は眺望絶景の地として昔から知られ、快晴の時には浅間山、
立山から白山、妙義山、榛名山、佐土国まで見えると古書にありま
す。また「勅許甲斐八景」に(金峰暮雪)が選ばれたほどの景勝地。
5月の連休、金峰山は若者で賑わっています。高校生が雪が残る五
丈岩の上に登っていきます最上部に登ったはいいけれど途中で降り
られなくなり困っています。一時大騒ぎになったことがありました。
・山梨県甲府市と長野県川上村との境
詳細【本文】、イラスト、データをどうぞ。
http://toki.moo.jp/merumaga/ninja-blog/ninja-blog.html
▼きょうの話題 終わり
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「奥秩父・金峰山の五丈岩」
金峰山頂には、形が大黒さまに似ているというので、御像岩とも呼
ばれる岩峰・があります。
山梨県甲府市御岳町の金桜神社の由緒書によれば、ここはかつて金
丸山といっていましたが文武天皇の時代(飛鳥時代)に奈良の金峰
山から蔵王権現を勧請し本宮(山宮)と里宮にまつったため金峰山
と名を変えたという。
金峰山は眺望絶景の地として昔から知られ、快晴の時には浅間山、
立山から白山、妙義山、榛名山、佐土国まで見えると古書にありま
す。また「勅許甲斐八景」に(金峰暮雪)が選ばれたほどの景勝地。
5月の連休、金峰山は若者で賑わっています。高校生が雪が残る五
丈岩の上に登っていきます最上部に登ったはいいけれど途中で降り
られなくなり困っています。一時大騒ぎになったことがありました。
・山梨県甲府市と長野県川上村との境
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山人漫画家の駄画駄文「北アルプス・常念岳の常念坊伝説」
▼きょうの話題「山・花・峠の伝説民俗」(294)をどうぞ。
下方から【本文】イラスト・データへリンクしています。
某月某日(金曜日 天気:快晴)
「北アルプス・常念岳の常念坊伝説」
常念岳はもともとは「まゆみ岳」と呼ばれていたという。
平安時代になり、坂上田村麻呂が常念岳北方にある有明山の岩屋に
住む魏石鬼八面大王を退治したという。
その時大王の手下の鬼・常念坊が空を飛び、まゆみ岳に逃げ込みそ
のまま住みつきました。
それからというもの、年の暮れにふもとの村に市が立つときまって
酒屋に怪しい僧侶がやってきて、5合の徳利を出しては5升くれと
いう。
酒屋の親父が頭をひねりながらもついでみると不思議に入ってしま
う。それを村人が聞いて、「あの坊さんはまゆみ岳の常念坊に違い
ない」と話し合い、いつかまゆみ岳のことを常念岳と呼ぶようにな
ったという。
そのほか山名については、常念岳山麓の栗尾山満願寺のお坊さんの
常念坊が初めて登った山なので常念岳になったという説がありま
す。
・長野県松本市と安曇野市との境
詳細【本文】、イラスト、データをどうぞ。
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▼きょうの話題(294)終わり
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某月某日(金曜日 天気:快晴)
「北アルプス・常念岳の常念坊伝説」
常念岳はもともとは「まゆみ岳」と呼ばれていたという。
平安時代になり、坂上田村麻呂が常念岳北方にある有明山の岩屋に
住む魏石鬼八面大王を退治したという。
その時大王の手下の鬼・常念坊が空を飛び、まゆみ岳に逃げ込みそ
のまま住みつきました。
それからというもの、年の暮れにふもとの村に市が立つときまって
酒屋に怪しい僧侶がやってきて、5合の徳利を出しては5升くれと
いう。
酒屋の親父が頭をひねりながらもついでみると不思議に入ってしま
う。それを村人が聞いて、「あの坊さんはまゆみ岳の常念坊に違い
ない」と話し合い、いつかまゆみ岳のことを常念岳と呼ぶようにな
ったという。
そのほか山名については、常念岳山麓の栗尾山満願寺のお坊さんの
常念坊が初めて登った山なので常念岳になったという説がありま
す。
・長野県松本市と安曇野市との境
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山人漫画家の遊画遊文「南ア・井川集落の石仏たち」
▼きょうの話題「山・花・峠の伝説民俗」(152)をどうぞ。
下方から【本文】イラスト・データへリンクしています。
某月某日(月曜日 天気:晴れ)
「南ア・井川集落の石仏たち」
静岡県の中部を北に走る大井川鉄道は機関車の走る鉄道として有
名。その終点井川駅近く、バス停の「井川本村集落」の大日院とい
うお寺には数えきれない位の石仏が積み重なるようにならんでいま
す。
ここは1958年(昭和33)に井川林道ができるまでは文字通りの陸の
孤島だったという。静岡市へ通じる道は大日峠経由の徒歩の旅路だ
ったという。
その旧道にあったのがこれらの観音さま。一丁ごとに旅の安全を願
い祭ってありました。また峠の名の由来の大日堂の大日如来。峠近
くにあった茶壺屋敷の山の神などもならんでいます。
ダムができる時一ヶ所に集めたものだという。8月。ジリジリの暑
さ、ザックをバス停においてスケッチに。
それぞれ番号のついた三十三観音や山の神、大日堂などが苔むして
います。木もれ日のなか、なんとも心おちつくひとときでした。
・静岡県静岡市
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某月某日(月曜日 天気:晴れ)
「南ア・井川集落の石仏たち」
静岡県の中部を北に走る大井川鉄道は機関車の走る鉄道として有
名。その終点井川駅近く、バス停の「井川本村集落」の大日院とい
うお寺には数えきれない位の石仏が積み重なるようにならんでいま
す。
ここは1958年(昭和33)に井川林道ができるまでは文字通りの陸の
孤島だったという。静岡市へ通じる道は大日峠経由の徒歩の旅路だ
ったという。
その旧道にあったのがこれらの観音さま。一丁ごとに旅の安全を願
い祭ってありました。また峠の名の由来の大日堂の大日如来。峠近
くにあった茶壺屋敷の山の神などもならんでいます。
ダムができる時一ヶ所に集めたものだという。8月。ジリジリの暑
さ、ザックをバス停においてスケッチに。
それぞれ番号のついた三十三観音や山の神、大日堂などが苔むして
います。木もれ日のなか、なんとも心おちつくひとときでした。
・静岡県静岡市
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山人漫画家の遊画遊文「山梨・御坂峠太宰治の文学碑」
▼きょうの話題「山・花・峠の伝説民俗」(151)をどうぞ。
下方から【本文】イラスト・データへリンクしています。
某月某日(水曜日 天気:くもり)
「山梨・御坂峠太宰治の文学碑」
「富士には、月見草がよく似合う」。ご存知、太宰治の「富岳百景」
の一部です。
これは井伏鱒二の招きで昭和13年9月から2ヶ月あまり、御坂峠
の「天下茶屋」滞在をもとに執筆したものという。
ここは昭和9年秋に建設され富士山が目前にそびえ「富士見茶屋」
「天下一茶屋」などと呼ばれていましたが、徳富蘇峰が新聞に紹介
し「天下茶屋」という名で天下に名を広めたものだそうです。
いまの建物はその3代目。太宰治の記念館もあります。ただしここ
は新しい峠、本当の御坂峠はそこより2キロほど西にあります。
大和武尊が越えたというので御をつけて御坂峠。戦国時代、ここを
中心に武田氏と北条氏が戦ったという歴史もあります。
文学碑文は以外にコチョコチョッと小さな文字で書かれています。
なぜかさい銭もあがっていました。
・山梨県御坂町と河口湖町の境
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「山梨・御坂峠太宰治の文学碑」
「富士には、月見草がよく似合う」。ご存知、太宰治の「富岳百景」
の一部です。
これは井伏鱒二の招きで昭和13年9月から2ヶ月あまり、御坂峠
の「天下茶屋」滞在をもとに執筆したものという。
ここは昭和9年秋に建設され富士山が目前にそびえ「富士見茶屋」
「天下一茶屋」などと呼ばれていましたが、徳富蘇峰が新聞に紹介
し「天下茶屋」という名で天下に名を広めたものだそうです。
いまの建物はその3代目。太宰治の記念館もあります。ただしここ
は新しい峠、本当の御坂峠はそこより2キロほど西にあります。
大和武尊が越えたというので御をつけて御坂峠。戦国時代、ここを
中心に武田氏と北条氏が戦ったという歴史もあります。
文学碑文は以外にコチョコチョッと小さな文字で書かれています。
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