山の文化伝承に遊ぶ「奥多摩・ロマンチックな月夜見山」
山の文化伝承に遊ぶ「奥多摩・ロマンチックな月夜見山」
【概略】
東京の奥多摩に「月夜見山」というロマンチックな名前の山があ
ります。ちょうど御前山と三頭山の中間にあり、すぐそばを奥多摩
周遊道路が走っています。
月夜見山という名は南東ろくの檜原村方面での呼び方だそうで
す。北西ろくの奥多摩町方面では、京道(きょうどう)山というそ
うです。
またこの山の山頂付近の生層の岩塊によく岩茸(いわたけ)がで
きるので、菌岩山ともいうそうです。月夜見山の名前は、南東側か
ら突き上げる北秋川の支流、月夜見沢という沢の名からきた名前だ
といいます。
宮内敏雄著『奥多摩』によると、なぜこの沢に「月夜見」の名が
ついたかに関して、これは仮説だとした上で「その沢辺に月読ノ尊
(つきよみのみこと)を祀る宮でもあったからではないかと推う。
天照大神(あまてらすおおかみ)と御姉弟(きょうだい)の御神を奉
祀したこの神社が、藤原(集落)あたりの月夜見沢の滸(ほと)り
にあったのではなかろうか」としています。
・東京都奥多摩町と檜原村との境。
……【さらに本文と出典】は筆者のページ(toki.moo)で↓
http://toki.moo.jp//merumaga/octama/oct-09.html
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- 2019年12月02日
- 山の伝承
奥多摩のはなし「蕎麦粒山」
【奥多摩のはなし】は「蕎麦粒山」
【概略】
東京都の奥座敷といわれる奥多摩。そのJR奥多摩駅のちょうど
真北、埼玉県秩父市との境に蕎麦粒山という山があります。この山
は標高はさほど高くはありませんが、行程が長くあなどれません。
山頂は南面が開けていて川苔山方面が見渡せ、またかたわらの岩
の上からは秩父方面も眺められます。この山は三角山とか火打山と
も呼ばれるという。
とがったような姿が特徴的なので「三角山」なのだそうです。ま
た麺類になる作物のソバの実は、ひし形をしていてとがっています。
この山も遠くから見ると三角形でソバの実を立てたようなのがこの
名の由来。
同じ奥多摩の大岳山や三ツドッケとも似ています。さらに火打山
というのは埼玉県側秩父市の村人の呼び方とか。山頂には、火打ち
石といわれる燧石質(すいせきしつ)の露岩が散在しており、山名
はそこから来ているという。
・東京都奥多摩町と埼玉県秩父市にまたがる。
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http://toki.moo.jp//merumaga/octama/oct-03.html
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- 2019年09月29日
- 山の伝承
山の民俗伝承ひとり画ってん。「奥多摩石尾根・将門馬場」
「奥多摩石尾根・将門馬場」
【概略】
奥多摩町棚沢、峰畑、城地区には将門神社があり、とくに棚沢
には「将門」という地名もあります。埼玉県秩父地方の伝説では、
生き残った将門の一族が奥多摩方面に移住、子孫が繁栄していっ
たとしています。
そのせいか、奥多摩の最高峰雲取山から東へJR奥多摩駅まで
伸びる石尾根には、将門にちなむ地名がならんでいます。将門七
部将が化石になった姿とされる七ツ石山からつづく鷹ノ巣山東方
に(将門の)城山があり、となりには「将門の馬場」というとこ
ろもあります。
登山道は山頂を通らずいつの間にか過ぎてしまいますが、いわ
れてみればなるほど馬場だったかと思わせる平坦な地形です。「承
平・天慶の乱」平貞盛・藤原秀郷の連合軍に討たれるまで、常に
一緒だったという6人の影武者とともに、この地で馬術のけいこ
に励んだのでしょうか。
・東京都奥多摩町
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- 2019年09月12日
- 山の伝承
山の伝承ひとり画ってん「蛭ヶ岳:ヒルか帽子かニンニクか?」
「蛭ヶ岳:ヒルか帽子かニンニクか?」
【概略】
蛭ヶ岳の名は「虫のヒルがいる」、「植物のヒル類が生えている」、「山の
形が坊さんがかぶる毘盧帽子に似ている」、「山頂に毘盧舎那仏をまつって
ある」などの説があります。
しかし蛭ヶ岳で山ヒルに血を吸われたという話は聞かないといい、植物
のヒル類もあまり多くないとされることから、毘盧舎那仏説が有力視され
ています。
ところが、山村民俗の会発行の「あしなか41輯」(1954年(昭
和29)刊)に、山村民俗の会会員の釜井盛四郎氏の記事に、蛭ヶ
岳でヤマヒルにとりつかれた話が載っています。
それを見た植物学者で登山家の有名な武田久吉博士は、次のよう
に付記しています。「未だかつて山蛭を見たことがないので、もう
絶えたものかと山と渓谷社発行の『丹沢の山と渓』に記したが、釜
井氏の記事によって、根絶しなかったことを知った。
蛭ヶ岳の名は、私は今日では、むしろ山蛭からつけられた名だろ
うと考えています」ヤマヒル説を称えています。
・神奈川県山北町と津久井町との境
▼「イラスト」と説明文は下記からどうぞ。
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- 2019年05月23日
- 山の伝承
山の伝承ひとり画ってん「丹沢表尾根に一の塔がないわけ」
「丹沢表尾根に一の塔がないわけ」
【概略】
丹沢表尾根は、なぜか二ノ塔からはじまり三ノ塔へとピークが続
き、一ノ塔がありません。これについて南麓の秦野市横野地区の神
社にこんな話が伝わっています。
その昔、毎夜山に不思議にひかるものが現れる。村人が登ってみ
ると、突然一つ天空に御神燈が輝き、次に二つ、三つとそれぞれピ
ーク上に灯りはじめます。
そして竜馬に跨った神童が現れ神像を渡し、祀るよういったとい
う。村人は早速最初の燈が灯った横の集落に加羅古神社を造立。
また各々神燈が灯ったところを「二ノ燈」、「三ノ燈」と呼ぶよう
になった。
それがいつか「燈」が「塔」に転訛、いまの呼び名になったのだ
ということです。
・神奈川県秦野市
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- 2019年03月09日
- 山の伝承