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山の文化伝承に遊ぶ「地震神さま鹿島神宮と北ア鹿島槍ヶ岳」


山の文化伝承に遊ぶ「地震神さま鹿島神宮と北ア鹿島槍ヶ岳」

【概略文】
 山の名前には、山の形からきたものがたくさんあります。槍の穂先のよ

うにとがっているので名づけられたのが槍ヶ岳。また、後立山連峰北部の

白馬三山にもとがった山があって、これには槍と同じ意味の「鑓ヶ岳」の

字を当てているのだといいます。



 さらにもう一座、同じ後立山連峰中央部にもとがった槍ヶ岳がありま

す。「鹿島槍ヶ岳」がそれだそうです。この山の頂上は、南峰と北峰との

二つに分かれた双耳峰になっています。かつては北峰を槍ヶ岳、ふたつ

の峰の間をつなぐ吊り尾根が馬の鞍に似ているため、とくに南峰を乗鞍

岳と呼ぶ地域もあったといいます。




 また双耳峰の二つの峰が高さ競争をしているようみ見えるので「背比

べ山」、また春に雪が消えた岩の形が、安曇野一円からシシやツルに見

えるところから、獅子ヶ岳、鶴ヶ岳と呼んだそうです。

・長野県大町市と富山県立山町と同県黒部市との境。


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▼山のふもとの神さまたち「木曽殿越えの義仲神」


▼山のふもとの神さまたち「木曽殿越えの義仲神」

【概略文】(400字)
 義仲神は木曽義仲のこと。突然ですが中央アルプス空木岳の北側

主稜に「木曽殿越」という鞍部があります。ここは標高2480m、北

アルプス立山の一ノ越、槍ヶ岳西鎌尾根の硫黄乗越についで3番め

に高い乗越だそうです。



 源平の合戦の時、義仲は大軍を従え、馬もろともにこの乗越から

太田切本谷を下り、伊那谷に侵入していったというのです。木曽義

仲が生まれた翌年、父は甥である源義平との戦いで殺され、孤児に

なり乳母の夫である信濃の土豪中原兼遠のもとで成長。



 以仁王の令旨を受けて木曽に挙兵。しかし、備中(岡山県)水島

(いまの岡山県倉敷市)で平氏に敗れ帰京してみると、法皇は頼朝

に「寿永二年一〇月宣旨」を与え、頼朝との接近を策略しています。



 孤立した義仲は、頼朝代官として上洛した源義経・範頼の軍に敗

れ、都を逃れますが近江国琵琶湖畔の粟津で敗死しました。義仲を

まつる寺社は各地にあり、長野県木曽福島町に興禅寺、滋賀県大津

市の義仲寺などもあります。


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こんな話も大まじめ「牛になった立山の天狗光蔵坊」


▼山の伝承ひとり画ってん「牛になった立山の天狗光蔵坊」

【概略】
 雄山神社の宝物に、立山開山の有頼が所持していた刀、また熊を

射たとする矢の根、鬼の牙一つ、老尼の角二つ、馬に生えた角、牛

になった天狗の爪があるという。



 どれれも雄山周辺の伝説に登場するもので、いまでも宝物になっ

ているという。なかでも天狗の爪には興味津々です。



 森尻の智明坊は、生まれつき驕慢でみんなに嫌われていましたが、

ある時にわかに牛の吼(ほ)えるような声を出してついに天狗なっ

てしまったという。



 そして光蔵坊と名のって市の谷に棲んでいましたが、怒った剱岳

の刀尾天神がこれを追い出しました。その時、爪をひとつ落として

いったというのです。



 天狗研究の知切光歳氏は突然、天狗になったのだから只者ではな

い。一度はかなりな行を修めた行者にちがいないとしています。



 天狗の爪!ものすごく興味がありますが、宝物は一般公開しない

のでしょうね。


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むら里のこよみ「楓(桐とも)蔦黄ばむ」(七十二候第54候:霜降三侯)11月3日~7日


むら里のこよみ「楓(桐とも)蔦黄ばむ」(七十二候第54候:霜降
三侯)11月3日~7日

【概略】(400字)
 11月3日は二十四節気「霜降」の三侯。「霜降」をさらに3つに
区切った七十二候では、この時期は第54候(三侯)にあたります。
三候は11月3日~7日ころで「楓蔦(かえでつた)黄ばむ」ころ。

 カエデやツタの葉っぱが色づいて黄ばんでくるころだとしていま
す。『日本年中行事事典』では「桐蔦黄ばむ」とし、「楓」が「桐」
になっています。

 これを現代の季節に当てはめると、北日本ではコタツはじめ、中
部日本では初霜、西日本ではサザンカ開花のころなのだそうです。
なお、二十四節気の移入元中国流では、霜降の三侯は「蟄虫咸俯(み
なふす)」ころだそうです。 

 この二十四節気七十二候は、もともと中国から入ってきたもので
すが、さすがに日本の気候とずれていたため、何回か修正しいまの
ようになったということです。

 しかし地球の温暖化が進んでいるいま、さらに修正するのでしょ
うか。ちなみに中国での解説を付記してみました。中国での「霜降」
の第52候(初候)は、「豺(やまいぬ)乃祭獣」、第53候(二侯)は、
「草木黄落」。第54候(三侯)は、「蟄虫咸俯(みなふす)」ころな
のだそうです。

▼【参考文献】
・『暦の百科事典』暦の会(新人物往来社)1986年(昭和61)
・『七十二候 世界で一番おもしろい暦の本』落合正勝(KKベスト
セラーズ)1994年(平成6)
・『日本大歳時記・秋』水原秋櫻子ほか監修(講談社)1989年(昭
和64・平成1)
・『日本年中行事辞典』鈴木棠三(角川書店)1977年(昭和52)

▼↓【画像】と【本文】をどうぞ
http://toki.moo.jp/merumaga/72koh/72koh01.html
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奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る


奥多摩三頭山・田原藤太が七ツ石の将門を射る

【概略文】400字
 石尾根七ツ石山にはおよそ7つの石が人の形をして立っていま

す。平安時代、叔父の平良兼と仲違いを越した平将門は、ついに承

平天慶の乱を起こし、伯父の常陸大掾(だいじょう)国香を殺害。

さらには関東全体を統治しました。



 しかし、平貞盛、藤原秀郷ら連合軍に討たれます。この乱の時、

将門たちは奥多摩の奥深く逃げ込みました。それを追ってきた田原

藤太は三頭山山頂からはるか彼方、石尾根の七ツ石山で動く人影。

将門に違いない。ですが、同じ格好の武者が7人ならんでいて本物

がどれか分かりません。



 田原藤太は日ごろ信仰する成田山(千葉県成田市)の不動さまに

祈ったところ、「6人は影武者のわら人形である。朝、顔を洗う時、

湯気が立って白い息を吐くのが将門である」とのお告げがありまし

た。



 藤太は白い息を吐く将門に向かって矢を放ちました。矢は、ねら

い違わず将門のあたったという。とたんに7人の将門は岩になって

しまったという。



 東国武士魂あふれる平将門を慕う奥多摩付近の人々は、いまでも

田原藤太に助言した成田山にはお参りしないといいます。

・東京都と山梨県の境


……【さらに本文と出典】は筆者のページで↓
http://toki.moo.jp//merumaga/octama/oct-07.html



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