某月某日 山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア・どこから見ても笠ヶ岳」
▼山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア・どこから見て
も笠ヶ岳」
【概略文】
各地に「笠」の形をした山は多くありますが、この笠ヶ岳ほどどこ
から見ても同じ形をした山はないそうです。
江戸時代は山頂から少し下にある山小屋あたりが人の肩に似ている
というので「肩ヶ岳」とか、お釈迦様の「迦」を意識したのか「迦
多ヶ岳」といっていたらしい。
山岳修行でおなじみの念仏僧・播隆上人がここに登り東の空に浮か
ぶ天をつくような槍ヶ岳を見て、初登頂を決意した話は有名です。
播隆は、1823(文政6)年6月、荒れた踏み跡を探しながらなんと
か笠ヶ岳に登頂。
下山したのち播隆は村人とともに笠ヶ岳への登山道の整備をはじめ
ます。
その年の8月5日、播隆は笠ヶ岳再興を祝って村人を連れて再び登
頂。山頂で念仏を唱えていた午後4時ごろ、雲の中から七色にかが
やくご来光が現れ、その中心に如来像がくっきりあらわれました。
「仏さまの出現だ」とその場にひれ伏したという。いまでいうブロ
ッケン現象ですね。
・岐阜県高山市
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- 2018年08月01日
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某月某日 山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア五龍岳・五匹の竜とはものすごい」
▼山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】「北ア五龍岳・五匹の
竜とはものすごい」
【概略文】
五龍岳(固有名詞なので竜ではなく旧字体を使用しています)山頂
東面には、X字形の割れ目があります。
この割れ目に雪がつくと、遠くからは「四つ割り菱」の形になって
見えます。
まるで当時ここを支配していた武田信玄の家紋と同じです。そのた
め信州側では「御」の字をつけて「御菱」と呼ぶおべっか者も出て
きます。
一方、越中側では餓鬼ヶ岳と呼んでいたという。明治時代、東京の
登山者がこの山にさしかかりました。
地元の案内人に聞くと「ゴリョウ」という山だとの説明。漢字を聞
きましたが分かりません。
「それでは五龍と書いておこう」とメモし、東京で雑誌に発表して
しました。
のち、お上が発行した地形図にも「五龍岳」の文字が記載されて、
とうとうこれが本名になってしまったという。
しかし越中側の餓鬼岳がない。仕方なく唐松岳の西にあった無名峰
を餓鬼岳としたということです。
・長野県大町市と富山県黒部市との境
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- 2018年07月31日
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▼「茨城県・岩間山十三天狗に行ってきました」
▼「茨城県・岩間山十三天狗に行ってきました」
【序文】
江戸時代の文政3(1820)年というから江戸時代も後期、江戸下谷
の長屋にすんでいた少年が天狗にさらわれるという事件がありまし
た。
茨城県筑波山の端山(はやま)、岩間山愛宕神社境内の「十三天狗
塚」(茨城県笠間市)で、しばらく天狗と一緒に生活したという。
名前を寅吉といい、当時、天狗小僧寅吉と大変評判になったといい
ます。
それを聞いた国学者の平田篤胤(あつたね)が毎日のように寅吉の
ところに通い、話を聞き『仙境異聞』(せんきょういぶん)という
本にまとめました。
こんな話をもとにどんなところか行ってみました。
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- 2018年07月16日
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某月某日 山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】803号「神奈川県・雨の大山は雷獣まで降る」
▼山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】803号「神奈川県・雨
の大山は雷獣まで降る」
丹沢の大山の山頂には阿夫利神社の本社が、中腹には下社、不動前
には大山寺があります。
大山とは山頂にまつられている大山祇(おおやまずみ)神・山ノ神
の名からついた名前だそうです。
山名の由来についてはいくつかの説があります。まず、頂上にいつ
も雲がかかっていて、雨がよく降るからという説。
次にアイヌ語のアスプリ(偉大なる山という意味)が、なまってあ
ぶりやあふりになったとの説。
山頂の阿夫利神社はご神体が石であるため、昔は石尊社、石尊大権
現と呼ばれ、商売繁盛、豊作祈願、無病息災の神として関東一円か
ら信仰されました。
ここには江戸時代に(雷獣が)落ちたという話があります。猫より
は大きく、ほぼイタチ位で、爪が五本あったという。
また同じような別の話もあります。
・神奈川県伊勢原市と厚木市・秦野市との境。
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- 2018年07月12日
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某月某日 山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】800号「新潟県・越の中山妙高山」
▼山の歴史と伝承に遊ぶ【ひとり画ってん】800号「新潟県・越の
中山妙高山」
「新潟県・越の中山妙高山と雪形」400字
長野県北部にある斑尾山・妙高山・黒姫山・戸隠山・飯綱山を北信
五山というそうです。
なかでも山名に「妙」があるせいか妙高山は仏教っぽい。そのはず
で妙高山の名は、仏典に説く須弥山妙高山というのにちなんでいる
という。
この山にも5月ごろ「山の字」の雪形ができて関山方面から見られ、
ふもとに人たちに親しまれているという。
この山は昔は「越の中山」と呼ばれていたという。この中山が名香
山(なかやま)になり、ミョウコウと読まれ、妙高山と当て字され
たとされています。
室町初期・中期にできたといわれる「義経記には「直江の津にて笈
探されし事)妙観音の嶽(たけ)より下したる嵐に帆引掛けて、米
(よな)山を過ぎてうんぬん」と出てきます。
この妙観音の嶽というのが妙高山のことだという。源義経や弁慶も
奥州へ落ちる時に妙高山を見ていたのですね。
・新潟県妙高市
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- 2018年07月08日
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