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8月17日発売『日本百霊山』(山と渓谷社)大雪山のイラスト

8月17日発売『日本百霊山』(山と渓谷社)大雪山のイラスト:
「富士山に登って、山岳の高さを語れ。大雪山に登って、山岳の大
(おおい)さを語れ」。これは詩人大町桂月の言葉です。大雪山は
北麓の層雲峡から南の十勝岳まで大雪山国定公園北部にある山地。
緯度が北に偏っているため、本州の3000m級の山々と同じように
高山植物が2百数十種。動物は大小あわせて百60数種生息してい
るそうです…【詳細】→http://toki.moo.jp/merumaga/reizan/reizan01.html

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単行本:山と渓谷社発行『日本百霊山』

単行本:山と渓谷社発行『日本百霊山』:ご注意。あの『日本百名
山』ではありません。なんとか最終段階にこぎ着けました。タイト
ルは厳めしいですが、-漫画家が書いた天狗・仙人・鬼・妖怪ばな
し-です。この夏には発売出来るかも。笑いながら読んでください
ますよう。【詳細】→http://toki.moo.jp/mybooks/index.html

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きょうもひたすら山旅漫歩゚「山梨県入笠山」


山梨県入笠山



スズランで有名な入笠山は南アルプスの最北の前衛の山。見晴らし
よい山頂からは霧ヶ峰、蓼科山、八ヶ岳連峰、南アルプス、中央ア
ルプスが一望。

また富士山、秩父連峰、北アルプスまで360度の展望が望めます。
山名は、山の形が稲を刈り取り束にして重ねた「にお」に似ている
ところからきているそうです。


この山は湧き水が豊富なところで、「首切り清水」、「頼重水」など
があります。


仏平(ぶっぺい)峠の「首切り清水」は昔、高遠藩の金奉行が江戸
に参勤の藩主のもとへ金を届けるために近道をしてきました。


そして、この清水で喉をうるおそうと腹ばいになったところを、後
からつけてきた盗賊に首を切られたという伝説が残っています。


また富士見町若宮から入笠山登山道の「頼重水」という清水は、諏
訪頼重が武田信玄と戦い、敗れてしまった。


逃れる途中、杖で掘ったところに湧いた清水だそうです。
・長野県伊那市同県富士見町)との境。


▼「イラスト」と説明文をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac10.html




★【お知らせ】
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・『ヤマケイ新書 日本百霊山』(発行元・山と渓谷社)
 -伝承と神話でたどる日本人の心の山-
 8月の「山の日」キャンペーンに向けて頑張っています。
・山のはがき画読者募集(毎月郵送): http://toki.moo.jp/hagakiga/
  (1971年(昭和46)創刊)
・【仕事部屋】へもどうぞ: http://toki.moo.jp/tacoroom/
・【グッズマイショップ】:https://suzuri.jp/toki-umoart
(バッグ、Tシャツ・コーヒーカップ)
・【作家応援投稿SNS】:http://gaca.jp/
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★おわり
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きょうもひたすら山旅漫歩゚「北アルプス・針ノ木峠」


北アルプス・針ノ木峠



針ノ木峠は長野・富山の県境。この峠を越えての行き来は、日本海
まわりで行くよりずっと近いため、昔から密売商人・盗伐者・立山
参りなどに利用されていたという。


戦国時代の天正12年(1584)11月(新暦では12月)、富山の城主
佐々成政有名な佐々成政、雪の黒部奥山越えの舞台にもなっていま
す。


1ヶ月がかりの強行軍のコースにはいろいろな説がありますが、越
中側立山温泉から常願寺川をさかのぼり、ザラ峠、黒部川平(たい
ら)、針ノ木谷、針ノ木峠、いまの大町アルペンライン沿いの籠川
谷から野口村大出のルートが有力。


針ノ木峠には、成政が100万両の黄金を49個の壺に詰めて峠付近
に埋めたという伝説も残っています。


そして富山城の落城後は、越中の大部分は前田利家の領地となって
しまいました。


テント場のトイレは「槍見荘」とあります。中に入ると下の方に小
さな窓があります。しゃがむと窓がちょうど目の前に。


その中にあの槍ヶ岳がぴったりおさまっています。槍を見ながら用
を足すように仕掛けてあるのです。


小屋の人たちの洒落っ気が伝わってきました。
・長野県大町市と富山県中新川郡立山町との境。



▼「イラスト」と説明文をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac09.html






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★おわり
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山の伝承・民俗画「房総・鹿野山の鬼と鬼泪山」


房総・鹿野山の鬼と鬼泪山



昔、日本武尊が「鬼」を退治したという伝説のある鹿野山。東京湾
の入り口・浦賀水道(走水)を相模国から渡ってきた日本武尊の軍
隊は上総へ上陸。そして鹿野山にやってきました。


鹿野山の鬼(阿久留王)は鬼泪山に逃げ込み、泣いて謝りましたが
殺されました。


ところで阿久留王は、六手王とも呼ばれ、北麓の六手地区の出身と
いう。この地方の部族の王だったわけです。


山頂の神野寺の寺伝には、聖徳太子が鹿野山に神野寺をつくり、軍
荼利明王などを安置したとあり本尊になっています。


ところがこの軍荼利明王が阿久留王だと古書にあります。ふつう軍
荼利明王は一面八臂。しかしここの軍荼利明王は、三面六臂。そし
て阿久留王も一名六手王。


そんなところから軍荼利明王は阿久留王だとされています。それな
ら阿久留王は鬼ではなく立派な仏さまということになってしまいま
す。


それにしても土地の部族の王がなぜ日本武尊に謝らなければ行けな
いのでしょうか。
・千葉県君津市





▼「イラスト」と説明文をどうぞ↓
http://toki.moo.jp/merumaga/uusangac/uusangac01.html





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