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★山の伝承「西丹沢・神縄の頼政神社」


西丹沢・神縄の頼政神社


頼政神社の祭神源頼政は源平争乱時代の武将。平治の乱に同族の源
義朝をすてて、平清盛に味方します。


そのため「平家にあらずんば人にあらず」の時代にもかかわらず、
源氏の身ながら従三位という破格の恵まれた待遇を得ました。


しかしその後、源頼政は源氏の世にしようと志し、高倉宮以仁王に
すすめ、平家討伐をはかります。


ですが戦いに利なく、あえなく自害をする羽目に追い込まれます。
それをあわれみ数々の伝説が生まれます。


ここ丹沢湖に通ずるトンネル手前にも頼政神社がおわします。集落
名も神縄といかにも神がかり。


境内のトチノキは「かながわの名木100選」の1つで、昔、飢きん
の時、このトチノキの実を食べ何人もの命が救われたと立て札にあ
ります。


布なわでならす鈴の音に混じって、遠く三保ダム公園のスピーカー
の声がひびいていました。
・神奈川県山北町神縄




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★山の伝承「丹沢塔ノ岳の狗留尊仏」

丹沢塔ノ岳の狗留尊仏


丹沢の塔ノ岳には昔、山頂北側に、仏像に似た大岩・尊仏岩があり、
庶民の信仰を集めていたといいます。


しかし、1923年(大正12)年の関東大震災が起こり、その翌年の余
震で、大岩はコナゴナになって、北西側直下の大金沢にくずれ落ち
たといいます。


ここには狗留尊仏がまつられていて、干ばつのときは、雨乞いの場
になっていました。


岩の高さは1丈とも3丈とも、また5丈8尺あったともいわれてい
ますから、いずれにしても大岩だったわけです。


4月、尊仏山荘でイラストの個展を開催させて戴き、その最中のに
大岩を訪れてみました。


くずれたなごりの尊仏岩は急なガケにへばりついて裏から測るのと
表からでは大きな差。


これでは測り具合で高さが違ってくるわけです。満開のコイワザク
ラの中、首をとられた仏像がコケむしていました。
・神奈川県秦野市と山北町、清川村との境



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★山の伝承「北ア五竜岳小屋テント場の停滞」

北ア五竜岳小屋テント場の停滞


立山連峰のほぼ中央にある五竜岳。5匹の竜とはすごい名前ですが
これはただの当て字だとのこと。


ゴリュウに五竜の字を当てたのは、1908年(明治41)、ここに登っ
た三枝威之介という人だそうです。


ではゴリュウとは何のことでしょう。戦国時代、信州側が甲斐の武
田の勢力下にあったころ、山の残雪が武田菱に似ているというので、
ちょっと気の利いた者が御菱(ごりょう)と呼んだという。


それがゴリュウになまったという説。また後立山を後立(ごりゅう)
と音読みしたという説もあります。


7月、五竜小屋は大風雨のため停滞ときめました。前線が行ったり
きたりで日なが一日手もちぶさたです。


ツェルトの中を雨水が流れます。3日目の夕方、突然ウソのように
雲が切れます。


待ってましたと、小屋の中から人、人、人。よくもこんなにという
ほどの人が雲海に沈む夕日を見に出てきました。


五竜の上の月がなんとも印象的でありました。
・長野県大町市と富山県黒部市との境




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★山の伝承「丹沢・蛭ヶ岳の薬師如来さま」


丹沢・蛭ヶ岳の薬師如来さま


丹沢山塊の最高峰の蛭ヶ岳。かつて薬師如来がまつられていたとい
いますが、いま山頂にあるのは木曾の御嶽山の神の祠。


山名は山ヒルがいるからそんな山名がついたのだとか、毘盧舎那仏
からの毘盧ヶ岳に由来したなどの説。


毘舎奈仏とは華厳経というお経に説かれていて、釈迦のようにこの
世に生まれてくるのではなく、蓮華蔵世界という極楽浄土におられ
るという難しい話がものの本に載っていました。


ある年の夏、カモシカ山行で、夜に大倉尾根から登り、蛭ヶ岳のホ
コラの前で朝食をとりました。


山の中では誰もいじめたりしないので、すっかり人間になれてしま
った野生の鹿がそばに来て、シキリに食べ物をねだります。


生態系?によくないと知らんぷりをしていたら、目の前でジャージ
ャーと放尿の仕返し。


なんという態度だーッ。ホントニ。
・神奈川県山北町と津久井町との境



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★山の伝承「大菩薩嶺と甲斐武田終えんの地」


大菩薩嶺と甲斐武田終えんの地


中里介山の小説で有名な大菩薩峠の北方にそびえる大菩薩嶺も『日
本百名山』のひとつ。


大菩薩の名は、平安時代、新羅三郎義光が、大菩薩峠で道に迷い、
木こりの案内で無事通過。見ると八旒の白旗が見えます。


これぞ軍神の加護と「八幡大菩薩」と唱えたのがはじまりという。
大菩薩嶺の山ろくは甲斐武田氏の終えんの場所でもあります。


織田信長とその同盟者と戦った「長篠の戦い」以降、武田勝頼率い
る甲斐武田家は次第に勢力が衰えていきました。


安土桃山時代の天正10年(1582)3月、連合軍に追われた勝頼は、
自ら韮崎の新府城に火をかけ、一族とともに落ちていきました。


郡内には信頼できる岩殿城主の小山田信茂がいます。しかしその信
茂が謀反をおこし、笹子峠で行く手をはばまれ、仕方なく勝頼は、
日川渓谷の上流天目山の栖雲寺をめざしましたが、


田野地区で激戦の末、勝頼は奥方とともに自刃、甲斐武田氏は滅亡。
いまも景徳院には勝頼と奥方の自刃の石碑や墓が残っています。
・山梨県甲州市と丹波山村との境





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